新・駅前そぞろ歩記

川越の反映を支えた新河岸川物語
今回の登場人物
新河岸(しんがし)

鉄道がまだない時代、川は人や物資を乗せて移動する交通路でした。川越藩主・松平信綱が領内に流れる川に舟運の河岸場を開設したのは正保4(1647)年頃。それまで下流の志木に「本河岸」があったので、開設した河岸は「新河岸」と呼ばれるようになりました。その後、もっと上流にいくつかの河岸が作られ、明治になってからも川越市街地に最も近い仙波(せんば)河岸が開設。川越と江戸は新河岸川の舟運で強く結ばれていたのです。

新河岸駅
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新河岸川河岸場跡
新河岸川をたどって舟運を偲ぶ

新河岸駅が開設されたのは100年前の大正3年。東上線開通の直後で、まだまだ新河岸には舟運が続いていた時代です。その河岸は駅から10分ほど西へ歩いたところ。新河岸川に架かる旭橋の袂(たもと)に「新河岸川河岸場跡」の碑が立っています

江戸から明治・大正にかけて、この河岸場から下り舟でサツマイモや米、材木などが江戸へ運ばれ、上り舟には麻や綿や雑貨、肥料などが川越城下に運ばれ、河岸場周辺には舟問屋や商家がずらりと軒を連ね、大変な活況だったそうです。

平成の現在も旭橋から眺める新河岸川の川岸は、いまにも川を上ってきた小舟が櫓(ろ)を手繰(たぐ)って着岸しそうな趣。河岸の上には水の神として知られる大山昨(おおやまくひ)神を祀った日枝神社、かつての舟問屋を偲ばせる建物もあり、舟運在りし日を彷彿とさせる風景です。

ここで毎年4月29日に催されるのが「新河岸川への集い」。かつての舟運を偲ぼうと地元・新河岸の有志たちが始めた春祭りで、当時の船頭たちが歌っていた川越舟唄を地元の人たちが披露し、2隻の舟に子どもたちや観光客を乗せ、両岸に菜の花が咲く新河岸川をゆらりと巡ります。

ここからは新河岸川に沿って上流へと散策。新河岸川では川越市街の桜堤が有名ですが、この辺りでもところどころ桜並木を見ることができます。

勝光寺(しょうこうじ)というお寺へ行くと、本堂の手前に筆塚を発見。江戸時代、ここの住職は「桜霞堂(おうかどう)」と称して寺に私塾を開き、近郷(きんごう)の子どもたちを教育していたそうです。

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 南田島神社
明治時代から続く南田島の足踊り

さらに上流へ歩を進めると、田園が広がるなかに、南田島氷川神社があります。ここで毎年4月14日(ほかに年2回)に催されるのが「南田島の足踊り」。明治時代に人形浄瑠璃をヒントに始められた春祈とうです。人形を操る人はまず仰向けに寝て、その両足先にオカメとヒョットコの面と着物を装着。その着物の袖に手を通して日傘や扇子などを持ち、お囃子(はやし)に合わせて両手両足を高く上げ続けながら鮮やかに踊るのです。現代の奇祭といってもいい足踊りは、操者にとってかなり重労働ですが、南田島の地区で大切に継承されています。

ここからさらに新河岸川を上っていくと、川越街道沿いに仙波愛宕(せんばあたご)神社があります。盛り土の上に社殿がありますが、その盛り土と思ったものは、じつは古墳。6世紀中期のものと思われる二段築成の円墳です。また、この愛宕神社には江戸時代中期から延命地蔵尊が安置され、地元の人たちの信仰を受けてきたそうです。

愛宕神社の裏手は崖で、降りていくとそこは仙波河岸史跡公園。河岸場跡にさまざまな木々や植物、水鳥遊ぶ池、遊歩道などを整備した公園です。

仙波河岸が開設されたのは明治初期。新河岸川の最も上流に位置し、一番新しくできた河岸場です。また、当時ここには愛宕神社の崖下からの湧水を利用した滝が流れ、茶店などが建つ憩いの場でもあったとか。しかし、明治中頃から鉄道敷設が進み、大正期には新河岸川の改修が始まります。そして昭和6年。県の通船停止令により新河岸川舟運は約300年の歴史の幕を閉じたのです。

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新河岸MAP
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