プロジェクトストーリー

vol.03 東武鉄道とSLの歴史に想いを馳せる

東武博物館 名誉館長 花上 嘉成

東武鉄道とSLの歴史に想いを馳せる

東武博物館 名誉館長 花上 嘉成

1958年東武鉄道入社。車両部西新井工場配属以降、本社車両部・人事部等で勤務。七光台検修区長、大宮・北千住・浅草駅長などを歴任。2000年東武鉄道退職。01年東武博物館館長に就任。12年より現職。

更新日:2016年11月25日

東武鉄道と東武博物館の関係について

東武博物館では、東武鉄道の永い歴史の歩みをご覧いただく静態保存展示の他に、技術的継承にも重点を置いて車両の動態保存にも力を注いでいます。東武鉄道の代表的な電車として活躍した8000系8111編成もその動態保存の一つです。

今回のSL復活運転プロジェクトは、日光・鬼怒川地区の交流人口の増加による地域振興、また、鉄道産業文化遺産の復元・保存を目的としており、これにご賛同いただいたJRおよび私鉄各社の皆様にご協力をいただき、蒸気機関車C11形207号機、14系および12系客車6両、車掌車2両を東武博物館が保有し、ディーゼル機関車の保有とともに東武鉄道が蒸気機関車の営業運転等を受け持つこととなります。さらに、下今市駅と鬼怒川温泉駅に転車台(JR西日本長門市駅、三次駅の2基)を設置するなど、東武博物館と東武鉄道がそれぞれの役割をもってお互いの長所を十二分に発揮し、東武鬼怒川線での運転開始に向けて準備を進めています。

東武鉄道の蒸気機関車について

明治32年、蒸機鉄道で開業した東武鉄道は、順次関東平野に幅広く路線網を巡らせていきました。そして大正13年になると電化が開始され、この延伸とともに旅客は電車、貨物は蒸機列車に分離されていきます。

電化の流れは、主要線区はもちろん側線や専用線にも及び、蒸機に替わって電気機関車が次第に主力を占めるようになります。この流れがさらに進み、昭和41年6月26日に蒸気機関車のお別れ列車が走り、6月30日をもって運行の終わりを告げました。東武鉄道では延べ85両の蒸気機関車が在籍し、「蒸機王国」と言われた時もありました。やがて電機の貨物列車も平成15年に東武鉄道の路線から姿を消します。東京近郊の鉄道では最も遅くまで貨物が残っていたことになります。

当時活躍した蒸機は、テンダ式の有名なベイヤ―・ピーコックやネルソン、シャープ・スチュワート、ボールドウィンなどが主力で、これに交じって、特徴あるタンク機も多く活躍していました。その中に、昭和20年、タンク機の中で最後に登場したC11形2号機があります。今回北海道から迎えたC11形207号機と同型の車両です。このC11形2号機は、旧奥多摩電気鉄道(現・青梅線の一部)で石灰を運搬するために発注した蒸気機関車と言われています。昭和19年に同鉄道が国有化された時、国鉄に入らず東武に収められたようです。東武では主に佐野線で活躍し、石灰などを運んでいました。昭和38年まで働き廃止され、比較的寿命の短い機関車でした。

東武鉄道のSLの歴史に刻まれる新たな1ページを皆様と盛り上げたい

一度は消えてしまった東武鉄道でのSLの釜の火が、再び灯ることとなり、大変感慨深いものがあります。また、かつて東武鉄道でも走行していたC11形ということにも、不思議な縁を感じます。SLの魅力・迫力をより多くの皆様に感じていただけるよう、ご協力いただいた鉄道各社の想いも受け継ぎながら、東武博物館、東武鉄道、日光・鬼怒川地域の皆様、またSLを楽しみにされているお客様などと一緒に盛り上げていきたいと思います。

― 蒸気機関車の変遷 ―

  • 初期スタイルの29号 館林駅初期スタイルの29号 館林駅
  • 東上線を行く3号 昭和30年代 成増駅~大和町(現・和光市)駅東上線を行く3号 昭和30年代
    成増駅~大和町(現・和光市)駅
  • 蒸気機関車による貨物輸送華やかなりし昭和30年代 草加駅周辺蒸気機関車による貨物輸送華やかなりし昭和30年代
    草加駅周辺
  • 業平橋(現・とうきょうスカイツリー)駅の高架線で砕石車を押す58号と地上線の54号業平橋(現・とうきょうスカイツリー)駅の高架線で
    砕石車を押す58号と地上線の54号
  • 蒸気機関車の終焉まで活躍した40号 佐野駅付近蒸気機関車の終焉まで活躍した40号 佐野駅付近