
珍しいデザインの武家門
山門として使用されているのは、貴重な武家門。文政(ぶんせい)8年(1825)の大火の後に造られたもので、年季の入った木などに歴史が感じられます。3重の屋根や繊細な格子など、独自の様式をもつ武家門は全国でも珍しく、それが現在までよい状態で保存されています。
一際目を引く山門
山梨県の身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)を本山とする日蓮宗の寺。鎌倉中期の創建とされていますが、「資料となるものはすべて火事で焼けてしまい、お寺には残っていないのです」というのは住職の相原信榮(あいはらしんえい)さん。
修行中の日蓮(にちれん)が川越を訪れた際、深く帰依した旅宿の夫婦に、「蓮信(れんしん)」と「妙養(みょうよう)」の法名を授けたことから、天文(てんぶん)7年(1538)に寺を再興した日在(にちざい)が「蓮信山 妙養寺」と命名したといいます。盛時には養寿院(ようじゅいん)、蓮馨寺(れんけいじ)、行傳寺(ぎょうでんじ)と並んで4つの門前町のひとつを形成し、いくつもの諸堂が立ち並んで栄えていました。しかし、文政(ぶんせい)8年(1825)の大火ですべてが焼失してしまったそうです。
今も観光寺というより地元の檀家(だんか)さんに親しまれている寺ですが、明治維新期には廃藩置県により多くの檀家が国元に帰り、厳しい時代もあったとか。ようやく本堂が再築されたのは昭和2年(1927)、書院や庫裏(くり)が建築されたのは昭和39年(1964)のことでした。現在の立派な本堂は、平成3年(1991)に再建されたものです。
通用門側には、七面天女がまつられた七面堂と、秋元喬知(あきもとたかとも)の家臣・堀内十太夫(ほりうちじゅうだゆう)が勧請したという妙見堂(みょうけんどう)の2つのお堂が並んでひっそりと立っています。
山門として使用されているのは、貴重な武家門。文政(ぶんせい)8年(1825)の大火の後に造られたもので、年季の入った木などに歴史が感じられます。3重の屋根や繊細な格子など、独自の様式をもつ武家門は全国でも珍しく、それが現在までよい状態で保存されています。
一際目を引く山門
本堂の前には、幕末の三筆家のひとりとされ、弟子が5000人いたといわれる山瀬欄台を供養する石碑もあり、歴史・書道・拓墨などの愛好者が訪れることもあるとか。裏側に刻まれた文字をよく見ると、名前などを確認することができます。
宝暦13年(1764)、62歳でこの世を去った
所在地 : | 川越市末広町1-4-5 | アクセス : | 東武東上線・JR川越線「川越駅」東口から徒歩24分 東武東上線「川越市駅」から徒歩12分 東武バス「仲町バス停」下車、徒歩5分 小江戸名所めぐりバス「妙昌寺入口バス停」下車、徒歩4分 |
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電話 : | 049-222-2965 |