新・駅前そぞろ歩記

歴史と伝統が進化する師走の街角
今回の登場人物
東武宇都宮・南宇都宮(とうぶうつのみや・みなみうつのみや)

古くは下しも野つけ国一宮「二荒山神社(ふたあらやま)」の門前町として栄えた宇都宮。「いちのみや」が訛(なま)って「うつのみや」になったという説も。中世以後は宇都宮城の城下町として発展。近世になって奥州街道や日光街道が整備されると要衝(ようしょう)の宿場町として栄え、それが現在の栃木の県庁所在地、北関東一の都市へと繋(つな)がっていきました。そんな古い歴史と伝統が、現代の宇都宮で新しい形の文化となって進化しています。

東武宇都宮・南宇都宮(とうぶうつのみや・みなみうつのみや)
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東武宇都宮・南宇都宮(とうぶうつのみや・みなみうつのみや)
大谷石の建物がありこちに残る街

東武宇都宮線が開業したのは昭和6年。昔はこの鉄道を使って大谷石が運ばれていました。昭和7年建造の南宇都宮駅の駅舎も大谷石で造られているのです。

この駅に限らず、大谷石は昔から蔵や工場、住宅など宇都宮で広く利用され、街の風景に溶け込んでいます。南宇都宮駅の近くには大谷石造りの石蔵群が残っていますが、数年前からこの内部を改装してギャラリーやカフェ、料理店、バレエ教室などがオープン。コンサートや結婚式などもできるようになっていて、古い文化に新たな息吹を吹きこむ場所として注目されています。 一方、終点の東武宇都宮駅は、ターミナルデパー ト・東武宇都宮百貨店の3階に直結。駅前は宇都宮一番の繁華街で、駅の近くには松が峰教会があります。正面に二つの塔を持つロマネスク様式の聖堂は昭和7年に建設され、外壁や内壁、柱、祭壇などほとんどが大谷石造りです。大谷石が醸し出すなんとも渋い色調を外から眺めて楽しむ人が 絶えません。

駅前からまっすぐ東に延びる商店街「オリオン通り」は、栃木県で一番の通行量を誇ります。アーケードの下にはさまざまなショップが軒を連ね、見て歩くだけでも心うきうき。通りの中程には市民広場「オリオンスクエア」があり、週末を中心にイベントが催されて大賑わいです。その向かいには宇都宮のアンテナショップ「宮カフェ」。ここでは宇都宮名物の販売のほか、ジャズ、カクテルなどをはじめとした観光情報も発信しています。

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東武宇都宮・南宇都宮(とうぶうつのみや・みなみうつのみや)
街の中に眠る歴史と古い街から始まる再生

街中を流れる釜川は日本初の二層構造河川に改修。上層の水路に沿って整備された遊歩道は「釜川プロムナード」と呼ばれ、繁華街の中にあってのんびりと散策できる憩いの場となっています。そして街の中心に荘厳な姿で浮かび上がるのが、二荒山(ふたあらやま)神社。宇都宮の始祖・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られ、昔もいまも市民の心のよりどころとして親しまれています。宇都宮の歴史を語るもうひとつのシンボルは、宇都宮城址公園。宇都宮城は戊辰(ぼしん)戦争の兵火で廃城になりましたが、いまは土塁(どるい)や堀、築地塀(ついじべい)、櫓(やぐら)などが復元されています。

東武宇都宮駅の西側にも足を向けました。 西原地区には一向寺、報恩寺、光琳寺と三つの寺が集まっています。この辺りは、宇都宮城を巡って新政府軍と旧幕府軍が激戦を繰り広げた場所。一向寺には宇都宮藩士の墓、報恩寺には新政府軍の墓、そして光琳寺には新政府軍と旧幕府軍の墓が向かい合っています。また一向寺には、国家の危機を汗をかいて教えると言い伝えられる阿弥陀如来像(汗かき阿弥陀)が安置。戊辰戦争の際にも汗をかいたそうで、衣には1105の文字が刻まれ、国の重要文化財に指定されています(拝観は要事前連絡)。

ここから東武宇都宮駅方面へ戻る「もみじ通り」は、カフェやレストラン、セレクトショップ、ギター店などが並ぶお洒落な雰囲気。古くからの商店街に新しい人たちが次々に出店して活性化したそうで、いま宇都宮で人気のストリートとして注目されています。

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東武宇都宮・南宇都宮MAP
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