新・駅前そぞろ歩記

夏の名残と新涼に煌めく親水の街
志木

志木は親水の街です。市の中心を新河岸川と柳瀬川が流れ、東方には荒川。江戸時代から明治にかけて江戸と川越を結ぶ新河岸川の舟運で大いに栄えました。鉄道の発達によって舟運はその役目を終えましたが、川の流れはいまも志木に住む人たちの心を潤しています。水との関わりで昔からカッパにまつわる伝説も多く、現在は市内に23体のカッパ像があり、それぞれに愛称がつけられて人々に親しまれています。

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夏の名残と新涼に煌めく親水の街

池袋・川越間に東上線(当時は東上鉄道)が開通したのは大正3年。当初、志木は路線計画に入っていませんでしたが、志木の廻船問屋が中心となって熱心に鉄道を誘致したため、志木駅が誕生したのです。東上鉄道開通当初からの長い歴史をもつ志木駅。現在も東上線の中で乗降客が多い駅として賑わっています。そしてこの夏には東武鉄道の商業施設「EQUiA(エキア)」の中で最大の店舗数を誇る「EQUiA志木」がグランドオープンしました。飲食からフード&スイーツ、ファッション、雑貨など多彩な分野で、つい立ち寄りたくなる話題の店舗が勢揃いしています。


駅東口から広がる志木の街。水に関わるスポットは市役所が建つ新河岸川と柳瀬川の合流地点付近に集中しています。境内に六地蔵菩薩がある宝幢(ほうどう)寺には、お地蔵さんが悪さをしたカッパを諭して許してやったという話が伝えられており、文殊堂の前には「大門」というカッパ像があります。


東口から延びる商店街では、カッパの街おこしキャラである「カッピー」のグッズやスイーツが販売されています。この商店街の中には、国登録有形文化財の朝日屋原薬局があり、明治から残る重厚な建物を眺めると、この通りのかつての姿が見えてきます。このあたりは朝日屋原薬局と同じような造りの廻船問屋をはじめ、いろいろな商店が軒を連ね、大繁盛していた風景が偲ばれるのです。同じ通りには他にも、幕末の建築とみられる旧西川家潜(くぐ)り門や水車跡などがあります。

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いまも語り継がれる「カッパ」と「いろは」

志木を流れる川のシンボル的なスポットは、柳瀬川と新河岸川が合流する中州を整備した「いろは親水公園」。二つの川面を楽しみながらの散策や休憩に最適で、川に飛来するカモやセキレイ、ヒヨドリなどの野鳥を観察することもできます。園内に建つのは明治10年建築の土蔵造りの店蔵・旧村山快哉(かいさい)堂。代々薬屋業を営んできた貴重な建物として志木市に寄贈され、この地に移築、復元したものです。


いろは親水公園から「いろは橋」を渡ると、新河岸川左岸に沿った1.5㎞のコスモス街道。10月にはコスモスまつりが開催されます。また右岸には親水公園の一部として斜面林を利用した遊歩道「こもれびのこみち」が延びています。歩いていくと木橋や石垣の堀、東屋、市内でも珍しい湧き水の池もあります。そして、この遊歩道から斜面林の階段を上っていくと敷島神社に出ます。その境内には高さ9mの田子山富士塚。明治初めに築造されたもので、かなり本格的な造り込みから「志木のお富士さん」と親しまれています。


宗岡(むねおか)小学校の隣に立つ志木市立郷土資料館もおすすめ。水に関わる歴史としてここで学んだのは、江戸時代に野火止用水を宗岡地区まで送るために新河岸川の上に大きな樋(とい)で渡したこと。この樋は板を48枚つなげていたので、いろは四十八文字に 因んで「いろは樋(どい)」と呼ばれ親しまれていたそうです。そういえば「いろは商店会」「いろは親水公園」「いろは橋」……親水のまち志木のキーワードは「カッパ」と「いろは」なのです。

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