新・駅前そぞろ歩記

北千住(きたせんじゅ)
歳末の元気な商店街とわくわく路地裏ラビリン

江戸四宿のひとつ・千住宿は、奥州への出発地で交通の要衝でした。 それは現代になっても変わらず。北千住駅は東武スカイツリーラインを はじめ、5つの路線が交差しています。そんな北千住の街の顔はさまざま。 江戸時代の宿場町の名残から明治・大正・昭和の古き良き下町文化、 そして現代の街づくり。それを肌で知るためには街中を歩いてみるのが 一番です。今回は歳末で賑わう北千住駅の東側に広がる街をご紹介。

北千住
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北千住
北千住駅の新しい顔と東口の古き良き顔

明治32年にはじめて東武鉄道が線路を敷いた起点がここ、 北千住駅です。1日の乗降者数は約45万人と東武スカイツリーラインで最多のターミナル駅。構内の駅ナカ店舗が今月14日にEQUiA(エキア)北千住となってグランドオープンします。紀ノ国屋のグロサリーショップなど沿線初出店を含め、総店舗数41と駅ナカ商業施設では沿線最大。ワンランク上の上質な北千住ライフを提供していきます。

北千住駅といえば、旧日光街道に沿って歴史を刻んだ西口側が注目されがちですが、どっこい東口側も魅力的な街が広がっています。まず駅前に出ると、いきなり人通りで賑わう学園通り旭町商店街が東へまっすぐに延びています。「学園通り」の由来は、駅前の足立学園から。5年前に東京電機大学も駅前に移転してきたので、東口には若者たちの新しい人の流れができています。通りには生活に便利な地元商店や飲食店が賑々しく並び、最近はカフェやコンビニなども増えています。

学園西通りに昔ながらの宮造りの建物を発見。「梅の湯」という銭湯です。地元の人に混じって遠くからやって来たらしいリュックを背負った銭湯ファンも出入りする人気ぶり。都会から銭湯が消えつつありますが、北千住は銭湯王国で、東口側には3つの銭湯が健在しているのです。

無数の路地もまた北千住の街の魅力で、思いがけない路地裏文化に出会ったりします。「アートスペースココノカ」もそのひとつ。築75年の古民家を改築し、大学生が運営するスポットです。

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北千住
北千住駅の新しい顔と東口の古き良き顔

旭町商店街の奥まで進むと、町名が柳原になります。この辺りもまた縦横に路地が延びています。この一帯は戦災を免れた地区で、戦前からの町割がそのまま残っており、密集した住宅の昭和レトロ感もひときわ高し。本通りにはサクラ並木が続き、隠れた花見スポットになっています。柳原千草通りは路地をそのまま商店街にしたかのよう。いまはひっそりとした佇まいですが、地元の方に伺うと、昭和30年代は北千住の駅前より柳原のほうが活気があり、 身動きできないほどの人出で賑わったそうです。

柳原地区の鎮守となっているのが柳原稲荷神社。江戸時代から祀られていて、緑に囲まれた静かな佇まいにはほっこりした温かみを感じます。

柳原地区の東の外側を覆っているのは、荒川の土手。階段を上ってみると、大きな大きな青空が広がり、その下には荒川の水がゆったりと流れています。その流れに沿って両岸には緑地が続き、サッカーコートや野球グラウンドが整備されています。商店街と路地が織りなす下町文化の街並みと、空いっぱいの荒川土手という対照的な風景。北千住はその両方が満喫できるのです。

東武線はじめ荒川にはいくつか鉄橋が架かっていますが、それらの鉄橋に挟まれた場所にあるのは「槍掛の松」で知られる清亮(せいりょう)寺。門前の水戸街道にはかつて大きな松があり、水戸黄門の一行がこの地を通ったときに槍をかけて休んだという言い伝えが。古き良き昭和が残る北千住駅東口側で すが、江戸時代の名残も此処彼処(ここかしこ)にあるのです。

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北千住MAP
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