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第8話
映画館に流れる、「ままならない」という心地よさ
夏は海だ山だ、とはしゃぐ気持ちがないでもないが、こう暑いと映画館にでも行きたくなる。冷房のきいた劇場、スクリーンで繰り広げられる物語、栄養摂取を目的としない食べ物─コーラとかポップコーンとか─を頬張る自由、ふかふかのシート。控えめに言って至福の時だ。
最近、そんな非日常だけではない魅力を映画館に感じている。それは、映画を観ること以外何もできない、というところだ。上映が始まったらスマホをいじったり、しゃべったり歩き回ったりできない。そんなの当たり前じゃないかと思われそうなので、『PERFECT DAYS』という作品を映画館で観たときの話をさせてください。
トイレの清掃員の男性の平凡な日常に小さな波紋が起こる、というストーリーなのだが、1時間ほど経った時、両隣の観客がもぞもぞし始めた。分かる、と私は思った。その1時間のほとんどは主人公が毎日のルーティンを繰り返すだけだったからだ。私もちょっと退屈しかけていた。
しかし後半、その日常を一緒に追いかけていた者しか感じられない主人公の心の動きに、私は打ちのめされた。毎日見上げる木漏れ日の小さな変化に喜びを見出すような、彼の世界の見方を観客の心に同化させる前半なくして、後半の感動はなかったと思う。
もしこの映画を自宅で観ていたら、前半を早送りしてしまっていたかもしれない。そして違う感想を抱いていただろう。
作品をゆっくり楽しむより、早く面白さを感じたくて気が急いてしまうことが増えた。新しい刺激を求めてスワイプし続けたり、切り抜き動画でおいしいところだけ味わったり、早送りしたり。
それが悪いとは思わない。だが、たぶん一つのことにじっくりと向き合うことでしか得られない充足感がこの世にはあるのだ。甘いお菓子をたくさん食べるんじゃなく、きちんと料理した食事でしか味わえないような満足が。
映画館では「一つの作品と向き合う」以外はできない。タイパもマルチタスクも入る隙がない。心地よい不自由さとも言える時間が流れている。そこに私は癒やされるし、尊いとさえ思う。そしてつい、映画館へと足を運んでしまうのである。
文 朝水 想 イラスト 別府 麻衣
あさみ・そう
小説家、旅行作家。出版社勤務を経て、旅行書籍の編集、旅エッセイの執筆などで活動。
第46回小説推理新人賞を受賞。2025年、小説デビュー作『お稲荷さまの謎解き帖』(双葉社)を刊行。千葉県出身
X:@asami_sou25

