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プレゼントがあたる!
プロフィール
カヌー選手(ミキハウス所属)
| はねだ・たくや | |
| 羽根田 卓也 | さん |
スポーツ一家に生まれ、7歳で器械体操、9歳のときに父の影響でカヌーを始めた羽根田さん。高校3年で日本選手権を制した後、カヌーの強豪国であるスロバキアに単身で渡り、現地の大学・大学院に在籍しながら、カヌーの実力をアップさせました。
リオデジャネイロオリンピックで
カヌー競技においてアジア人初となる
メダルを獲得した羽根田卓也さん。
近況や海外大会でのオフの過ごし方など、
幅広いテーマについて伺いました。
アスリートをもっと輝かせる――
そんなカヌー以外の活動も始めました
焦燥感に背中を押されるように
海外で学ぶ選択を
――中学生になってから頭角を現したとのことですが、カヌーに打ち込み始めたきっかけは?
国体出場の経験もあるカヌー選手だった父の影響を受け、カヌーを始めた私たち兄弟。家族でキャンプに行くときは、川遊びの一つとしてカヌーに乗っていました。その後、小学3年生になってカヌーの練習を本格的にスタート。でも当時は、練習があまり好きではありませんでした。
そんな私を変えたのは、小学6年生のときに訪れた富山県での強化合宿。指導にあたっていたドイツ人コーチから「水を怖がらないで。水はあなたの友達」とアドバイスを受け、次第に「水をつかむ」感覚が分かるようになったのです。
激流への恐れなどがなくなったことで、自分のパフォーマンスも上がり始め、カヌーがレジャーから競技となり、勝負の楽しさも感じるようになりました。
――高校卒業後、スロバキアへ渡られた理由は?
ずっと「世界で勝ちたい」という強い思いで練習に励んだ高校時代。高校3年のときに日本選手権で優勝することができたのですが、同じ年に参加したジュニアの世界大会では、強い決意で臨んだものの表彰台には上がれませんでした。このとき、努力の量ではなく、環境を選ばなければいけないと痛感。ある意味では、焦燥感にも近い感覚を抱いていました。
カヌーの強豪国としての伝統があるスロバキアに学びたいコーチがいたので、自分でメールを送り、コーチ料の減額などの交渉も行って渡航が実現。その後は語学力も身につき、大学を受験して合格し、大学院へも進みました。
――印象に残っている大会は?
やはり、銅メダルを獲得できた2016年のリオデジャネイロオリンピックです。この年はすごく調子がよかったのですが、まさかメダルに手が届くとは……。実は、4年後に開催されることが決まっていた東京オリンピックがピークかもしれないという思いがあったのですが、トレーニングパートナーを務めてくれていたスロバキアの選手が、「東京まで待つなよ」と激励してくれたのです。このひと言で気持ちが引き締まり、状態よく臨むことができた気がします。
自分の豊富な経験を
次世代へもっと広めたい
――日本オリンピック委員会に参画している理由は?
東京オリンピックが終わった段階で、JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート委員に立候補する機会がありました。立候補できるのはオリンピック出場経験者のみ。私は5回の出場経験があり、その経験を次世代につなげていく、さらには日本のスポーツ界に少しでも貢献できるのではないかと思い、立候補しました。
パリオリンピック後も同じように立候補して、今回は委員長に就任しました。委員長になると自動的にJOCの理事にも選ばれます。
この委員会は、アスリート、オリンピアンを取り巻く環境を整備することがいちばんの目的です。たとえば、最近増えてきて問題になっている、アスリートへの誹謗中傷の対策など、アスリートをいかに守り、輝かせるかという活動を行う組織です。
――日常的に好きなお出かけ先はありますか?
コーヒーが好きなので、いいお店がたくさんあって「コーヒーの聖地」とも呼ばれている、東京の清澄白河へはよく足を運びます。下町の風情も残りつつ、カフェのほか、意外にもおしゃれなメガネ屋さんや美容院も多いんです。引き算の美学という印象を受ける、スタイリッシュなお店などをめぐるのが楽しい街です。
――海外経験も豊富ですが、印象に残っている国・地域は?
スロバキアに数年間暮らしましたが、歴史と文化が根付いているヨーロッパが私の人生を語る上で大きなウェイトを占めています。日本にいた時代から、歴史的なものが好きでした。
なかでもチェコの首都プラハは、とても美しく印象に残っています。劇場が多いのも特徴なのですが、他国の支配下にあった時代が長かったため、自分たちのアイデンティティを示すように、チェコ語で演劇をする劇場が増えたようです。大会で海外を訪れる際は必ず下調べをして、こうした歴史に触れながら街歩きを楽しんでいます。
WEB限定!
羽根田さんの幼少期やスロバキアでの経験を深掘り!
――競技としてのカヌーを練習し始めたときの印象は?
カヌーそのものは、幼い頃から川遊びの一つとして親しんでいましたので、抵抗感はありませんでした。でも、自分より背の高い激流に挑まなくてはならず、その激流も怖かったですし、周りの大人たちの厳しく、とくに冬の寒さも耐え難かったです。出身の愛知県豊田市ですと、矢作川の日の当たらない渓谷が練習場となるのですが、冬は手が凍るような冷たさ。艇がひっくり返って流され、溺れかけた経験が重なり、トラウマになっていきました。
――カヌーの難しさは?
いちばんは、自然を相手にする競技であることです。国際大会では人工コースで行われますが、水の流れや動きは、決して自分でコントロールできない自然のもの。水の呼吸を感じ、水をつかむことはかなり難易度が高いスキルです。でもほんとうの意味で、小学6年生のときにドイツ人コーチが語った「水と友達」になれた瞬間は、他の競技では得られない快感があります。
とはいえ、自分のスキルが上がれば、ベストな状態で水をつかむ感覚はさらにレベルが高くなり、30年近くカヌーを練習していますが、まだまだ突き詰められてはいません。
――そもそも、カヌーの魅力とは?
日本国内でも、レジャーやアクティビティとしてカヌーが体験できる場所がたくさんあります。美しい河川や湖も多くあります。自然の魅力をディスカバリーしながら、一体になるような楽しさもカヌーの醍醐味とえいます。実際に体験することで、こうしたカヌーの楽しさを感じていただきたいです。
競技を観戦する際は、迫力やスピード感などを間近に感じてください。
――スロバキアで思い出に残っているエピソードは?
みずからメールを送ったコーチが、日本からのフライトが到着したウィーン空港に迎えにきてくれたシーンは今でもしっかりと覚えています。シュコダというチェコ製の車に乗っていて、オーストリアの田園風景を抜けてスロバキアに入ったのですが、この時に見た風景はしっかりと脳裏に焼き付いています。
スロバキアの人々は、どちらかといえば警戒心が強い方が多い印象でした。コーチとは英語でやり取りをしていたのですが、彼はあまり英語が得意ではなく、私に対するアドバイスは明らかに言葉数が少ないのです。
そこで、スロバキア語のスキルを上げるように頑張りました。すると、チームメイトが「スロバキア語を話始めた」と興味を持ってくれて、徐々に話しかけてくれるようになったのです。1年ほどたった頃には、会話に困らないほどに身についていました。
大学に進学したのも、現地で兄貴のような存在の選手が「その語学力なら大学に入れるから、俺を信じろ」と、入試や入学のサポートしてくれたんです。
――スロバキアはどんな国ですか?
ヨーロッパのなかでも、かなり東の方にあり、いい意味で田舎で、風情がある国です。ウェルビーイングをたいせつにしている人々が多いのも特徴の一つ。ロンドンやパリなど大きくて華やかな街をめぐり終わった方が訪れると、時間の流れがゆっくりとしていて、落ち着けると思います。
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text:Taku Tanji photo:Mayumi Komoto

