2026.11 No.929 掲載

第10話
無人タクシーに乗って知る、人のホンネ

先日、ロサンゼルスで無人タクシーに乗った。完全自動運転のため、運転手がいないのだ。そんな怖いものには出来れば乗りたくなかったが、同行した夫たっての希望だったので仕方がない。

タクシーアプリで乗車場所を指定してしばらく待っていると、一台の車が走ってきて目の前で停まった。屋根に回転する巨大なセンサーを載せているほかは、いたって普通の車である。

乗り込むと、通りがかりの観光客がいっせいにこちらにスマホを向けて撮影しだした。にわかに有名人になった気分だ。嬉しいというより少し怖くなる。セレブも大変なんだなと思う。

走り始めると、誰もいない運転席のハンドルがくるくると回る。透明人間がいるようだ。歩行者が通れば停まり、通り過ぎればまたゆっくりと走り出す。最初はハラハラしていたが、次第にその状況に慣れ出す。むしろ有人タクシーより運転が優しく乗り心地がよい。音楽も温度もパネルで選べる。運転手に気を遣う必要も、英語で話すプレッシャーもない。あまりにも快適で、最後には居眠りをするしまつ。人間の適応力たるや、である。

だが、問題がない訳ではない。利用できるエリアは街の一部に限られる。繁華街など乗降しにくい場所は、停車場所が前後することがある。

そして、人間の運転手が道を譲ってくれない。左折しようと隙間を抜けようとしても、すぐ車間を詰められてしまい延々と曲がれなかったのでる。アイコンタクトが取れないという事情に加え、「人の顔」が見えない車に道を譲る気になれないという運転手たちのホンネが見え隠れする

AIと共存を始めてから、人のホンネが見えてきた気がする。カウンセラーはAIに代わることができないと言われてきたが、多くの人がAIに悩みを打ち明けている。どうやら自分の話を聞いてもらうだけなら「人の顔」は必要ないようだ。

では芸術はどうだろうか。AIの描く絵がどんなに上手でも、AI展覧会に私は行く気になれない。画家の想いを、絵の奥の「人の顔」を感じたい。

AIが代われる作業であっても「人の顔」は必要なのか。その区別をつける過渡期に、今私たちはいるのだろう。無人タクシーに乗ったら、そんな思いが頭をかすめたのであった。

文 朝水 想 イラスト 別府 麻衣

あさみ・そう
小説家、旅行作家。出版社勤務を経て、旅行書籍の編集、旅エッセイの執筆などで活動。
第46回小説推理新人賞を受賞。2025年、小説デビュー作『お稲荷さまの謎解き帖』(双葉社)を刊行。千葉県出身
X:@asami_sou25