2025年8月5日から10月19日まで開催した企画展「戦時下の東武鉄道~残された文書からみえるもの~」は好評のうちに終了しました。ありがとうございました。
同展は諸般の事情により図録を発行しませんでしたが、多くのご要望をいただいたことから、当初予定していなかったWEBでの公開を2025年11月11日~2026年2月11日の期間限定で行うことといたしました。
公開資料は貸し出し元より公開許可いただいた資料のみとなっておりますのでご了承ください。
なお、公開資料は個人がWEB上で閲覧いただく以外の利用は、転載、転用、複製、改ざん、SNSなどでの公開等を含め、固くお断りいたします。
文書タイトルをクリックしてご覧ください。
- 1.人の雇入及就職に関する心得
- 国家総動員法により、技術者は軍需産業関連業種に必要なため、国民職業指導所の許可なく就職・採用できない旨の通達。機械技師・電気技師など、東武鉄道に必要な技術者に赤線が引いてある。
- 2.臨時建設部規程
- 太平洋戦争勃発後の時局に即応した輸送力強化のため、施設の改良に対応する部署の設置を決定したもの。社長直属の部署としたことから、その重要性を推しはかることができる。
- 3.用材の用途別需要量調の件補助の件
- 戦時下により木材の需要が増加。配給を適正化するため需要量を調査するよう農林省が東京府を介して通達してきたもの。東武鉄道は昭和16年の実績を土木用・枕木用・電車用などの用途別、樹種別に詳細に報告した。
- 4.現役徴集者に対し休務規程制定の件
- 兵役徴集者は退職扱いだったが、これを休務扱いにすることで復員後の生活安定のめどが立ち安心してもらうことを目的に制定したもの。
- 5.補助の件
- 西小泉駅・東小泉駅開設記念祝賀会への寄付に関する文書。小泉線は軍用機メーカーである中島飛行機小泉製作所の利便を図るために計画中の熊谷線と接続することが見込まれており、祝賀会主催者の挨拶状にも熊谷線開業を期待する一文と祝賀会に中島飛行機関係者も招待する記載がある。「太田線」とは小泉線【太田~東小泉】のことと思われる。
- 6.弁当の現物配給と之に伴う費用一部会社負担の件
- 駅や工場勤務者は宿泊を伴うため、翌日の食事は外食になっていたが、食糧不足・食料制限に伴う物価高騰の影響を受けているため、浅草雷門(現・浅草)~西新井間で勤務する一定の給料以下の従業員に弁当を現物配給するというもの。そのために必要なベークライト製の弁当箱の発注承認許可を東京都鉄道局監督部に願い出ている。
- 7.青年学校就学義務者調査の件
- 青年学校とは、昭和10年から同22年まで存在した勤労青少年のための定時制学校。昭和14年からは義務化された。普通科二年、本科五年などがあり、一般教育、職業教育、さらに軍事教育も行った。就学に該当する従業員の有無調査、従業員を青年学校に通わせるため、各現場長の協力を仰ぐ文書が残されている。
- 8.日光軌道貨物輸送能力調査の件
- 日光市内に工場を持つ古河電工より東武鉄道に対し、新工場完成により輸送量が増えるので、日光軌道に国鉄の15t貨車が乗り入れるよう改良工事できるか、東武鉄道日光線の電車を日光軌道に乗り入れて工場まで従業員を輸送できるか等調査してほしいとの依頼があった。これに対し東武鉄道は「日光軌道は旅客輸送を目的としているため重量のある貨車の走行は適当ではないが、建築限界の特別許可を得られれば15t車までの運転も可能と考える。しかし神橋(東照宮近くの名勝)付近の曲線緩和が必要で、風致を相当損なう。特別許可を得られなかった場合は、東武鉄道日光線と同規格の線路を敷く根本的な解決策が適当である」と回答している。
- 9.建築資材特配につき陳情の件
- 軍用機メーカー中島飛行機小泉製作所の利便を図るため、熊谷線(熊谷~西小泉間)建設が急務で、東武鉄道営業線の一部を撤去して調達したレール等を使って敷設するが、不足分の資材を配給してほしい旨企画院に陳情。企画院は国家総動員体制の計画立案にあたった官庁で、物資の供給を調整し、効率的に配分するため資源調査や戦時総動員の研究を行っていた。表中「線路手持1360.0t」は東武日光線の合戦場~東武日光間約44.5kmを単線化して調達した分と思われる。
- 10.資源調査提出の件
- 鉄道省のあてに蒸気機関車や客車、貨車などの両数を報告したもの。従業員調査表によって昭和17年6月現在で従業員4,144名中549名が帰休兵・予備兵・補充兵の立場で働いていたことがわかる。
- 11.工事請負人斡旋依頼の件
- 軍需線である熊谷線の工事請負業者を社団法人鉄道工事統制協力会に斡旋依頼、結果、鹿島組(現・鹿島建設)が請け負うこととなる。同会に提出した依頼書には大川村(現・群馬県邑楽郡大泉町)~熊谷間約13km、利根川架橋と国道9号線(現・国道17号線)、信越本線(高崎線)を乗り越える工事をわずか2年半で竣工する計画が記されていることから、この路線が早急に必要であったことがわかる。
- 12.血液型検査施行について
- 本土空襲に備え、外傷により輸血が必要になった場合のため従業員の血液型検査を行い、それを衣服に明記しておくことを記した文書。ドイツのベルリン市空襲がきっかけになったと思われる。
- 13.焼損機関車応急修理依頼の件
- 昭和20年3月10日の東京大空襲で蒸気機関車を焼損したため、運輸通信省の大宮工機部(現・JR東日本大宮工場)に蒸気機関車23号、25号、61号、34号、60号、62号の応急修理を依頼。
- 14.機関車制輪子製作払下願の件
- 車両の修理を行っていた浅草工場(現・東京スカイツリータウン付近)の鋳造部が空襲被害のため機関車の制輪子(車輪に押し当ててブレーキをかける部品)製作が不可能となった。そのため東京鉄道局に5500型=東武鉄道の2B形(テンダー式蒸気機関車)用の制輪子、機関車80個・炭水車用60個の払い下げを陳情。
- 15.機関車譲渡に関する件
- 別府(べふ)軽便鉄道に鉄道軌道統制会の仲介で蒸気機関車譲渡を依頼。終戦のため昭和20年10月30日付けで取りやめとなった。別府軽便鉄道は兵庫県加古川市にあった鉄道会社。
- 16.工場施設分散設置に関する件
- 浅草工場が東京大空襲で被害を受けたため、車両の修繕業務などを郊外の工場・派出所へ分散することを通達したもの。機能の多くを杉戸工場(現・東武動物公園駅付近)に移したことがわかる。
- 17.ラジオ受信機購入の件
- 警戒情報聴取のため西新井工場用にラジオの購入を申請。
- 18.機関車局部修理委託の件
- 東京大空襲により浅草工場での機関車修理が不能となったため、大宮工機部に蒸気機関車C112号の修繕を依頼。
- 19.太田駅における焼損貨車取片付けに関する件
- 太田駅での焼損貨車片付けに中島飛行機太田製作所が2名の職工を派遣してくれたことに対して礼金の支払い。中島飛行機にとって太田駅が重要であったことがわかる。
- 20.東武浅草駅ビル戦災による損害調書作製料として株式会社清水組東京支社に支払詞可然哉
- 東京大空襲による浅草駅ビルの被害状況を清水組(現・清水建設)に依頼した支払いに関する文書。浅草駅ビルは清水組が手がけ、昭和6年に竣工。
- 21.終戦三カ月 進駐軍を迎えて
- 駅や車内での進駐軍兵士との接し方について、親切丁寧にまた柔軟に対応するよう促した通達文書。駅務室に入ってきた時は椅子をすすめて用向きを尋ねること、停車駅でない駅に停車を命じられた場合は、危険がない限り臨機に対処することなど、細かい実例や想定事例を挙げて指示している。
- 22.臨時株主総会決議通知の件
- 臨時株主総会での会長説明要旨に空襲の被害が詳細に記されている。それによると空襲は22回、被害を受けた場所は43カ所、機関車14両、客車19両、貨車160両、建物は浅草駅ビルをはじめ浅草工場、業平橋(現・とうきょうスカイツリー)、太田、宇都宮、池袋、下板橋の各駅他61件、資材不足により修理が行き届かなかったにもかかわらず輸送量が激増した為、車両・線路を酷使したことにより、相当の不良車両を見るに至ったことを述べている。
- 23.溶接々手を採用せる蒸気機関車について
- 戦中、終戦直後に新造された蒸気機関車のうち、溶接でボイラーを製作したものは良否の判断が難しく、亀裂腐食による事故の恐れがあるので、完全な製作工程を経たもの以外は鋲溶(リベット)の蒸気機関車を使うようにとの通達。東武鉄道には該当車なし。戦中・戦後の物資不足の中で蒸気機関車を造ったため、安全面が万全でなかったことが伺える。
- 24.軍需工場新設と輸送計画
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東武沿線には軍用機メーカー中島飛行機の各製作所をはじめとした軍需工場があり、戦時中にも新設された。こうした工場は重点的に輸送の利便が図られたため、東武鉄道が工場新設の計画、工員数を極秘裏に入手して、運転時刻や頻度、車両の編成数など輸送計画を検討した記録が残されている。
※実際には完成しなかった工場も含まれていると思われる。 - 25.中島飛行機工員輸送調査関連文書
- 東武線各駅から軍用機メーカー中島飛行機太田製作所および小泉製作所に通勤する工員数を詳細に調査。昭和17年8月から翌年2月まで1ヶ月ごととられた記録により、列車通勤工員数が右肩上がりに増加していることがわかる。これに対処するため、臨時列車を走らせ、定期運行の列車に工員専用車両を連結して輸送力増強を図った。


