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あなたのONE SCENE
鬼怒川温泉駅 転車台
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03
クロストーク
もときみちこさん
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こよみ、くらし。
地図
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ちょっと、そこまで
竹ノ塚(たけのつか)編
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それはさておき、コーヒーでも。
今日もいい日だったと思って眠りたい
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アートのはなし
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08
Window on TOBU
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東武沿線小説
てむちゃん on the way
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てみやげ、おもたせ、心づかい
川越ポテトサンド
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11
謎解き教室
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バックナンバー
プレゼントがあたる!
プロフィール
ミューラル・ウィンドウペインター兼
グラフィックデザイナー
| もとき みちこ | さん |
宇都宮市在住。宇都宮文星短期大学グラフィックデザイン科を卒業後、デザイン会社、企業広報、広告代理店のチーフデザイナー・アートディレクターを経て2016年フリーランスに。窓ガラスに絵を描くミューラル・ウィンドウペイントを中心に活躍中。
点を線で結んで独自の世界を描く、
宇都宮を拠点に活躍するもときさん。
東武宇都宮線 南宇都宮駅の駅舎の窓をはじめ、
独創的なミューラルアートが生まれた背景や
お好きなおでかけ先などを伺いました。
多くの人に作品を見ていただき
少しでも、社会が明るくなれば―
絵を描くことの原点は
幼少期のひとり遊び
――絵を描き始めたきっかけは?
私は栃木県の高根沢(たかねざわ)という町で生まれ育ちました。先日、テレビの深夜番組で「何もない町」として取り上げられたほどの町でして……。小さな頃は、ゲームをするのでもなく、友達と遊ぶのでもなく、近くの山でひとりで遊んだり、自宅にこもって何かをしたりしていました。
その自宅でやっていたことのひとつが、何かを描くこと。飼っていた犬や植物、さらには山のなかにいる何かを空想して描いていました。空想したおばけのようなものを小学生が描いているのは、ちょっと変でしょうか。
こうした幼少期を過ごして、マンガ家やイラストレーターになりたいという夢を抱くようになりました。好きなマンガをよくトレースしていたことを覚えています。この経験によって、立体的に描く方法、影を上手に描く方法などを学べたような気がします。
――現在のスタイルになったのは?
点を線で結んで描く私のスタイルは、子どもを産んでから生まれたもの。自分独自のスタイルを模索していたとき、この描き方だと、かわいいだけでないさまざまな作風を描けると感じたのです。
さらに私の内情をお話すると、この模索をしていたのは、家事と仕事を両立するのに苦労していた時期です。もともと2つのことのバランスをうまく取るのが苦手で、どちらか一方に集中するタイプ。苦悩しているときだからこそ、新しいスタイルが生み出せた気がします。そう、私は切羽詰まると、新しい何かが生まれるタイプです。
いろいろなアート作品を見てきましたから、皆さんの作風を自分のなかで融合した影響もあるかもしれません。誕生日も一緒の草間彌生さんは、大好きな芸術家。彼女の作品も私のどこかに影響しているのでしょう。
でも、幼少期の空想やその後のちょっと毒々しい作風が私の内部には残っているのでしょう。かわいいだけではない、シュールさも表現するようにしています。
渡邉氏の大谷石彫のカエルの置物。季節の草花で飾られた愛くるしい姿が印象的です
――南宇都宮駅の作品とは?
南宇都宮駅の駅舎に描いた作品は、合計3日間ほどをかけて完成させました。テーマは「BUJI KAERU」。栃木県には、県内で産出される大谷石で造られた、カエルの置物を自宅の前に置く習慣があるのです。私の実家にもありました。
「無事に帰る」を意味したもので、鉄道を利用した方々への思いを込めて、この習慣になぞらえてカエルなどを窓ガラスに描きました。栃木県の伝統工芸士である渡邉哲夫さんによる大谷石彫のカエルの置物も駅舎内にあります。
そのほか、私の作品は宇都宮市内を中心に、10弱の施設の窓で見ていただけます。宇都宮から南へ下った下野(しもつけ)市にある天平の丘公園のカフェや、県南部の市貝(いちかい)町にある道の駅サシバの里いちかいなどで作品を描きました。実は、長年の夢なのですが、台湾でも描けないかと模索中です。
コロナ禍で思いを強めた
自分の作品ができること
――多くの人が鑑賞できる場所に描くようになった思いは?
こうした取り組みを始めたのは、コロナ禍がきっかけです。たとえば小学生は登下校するときに下を向いて、話をしてもいけない時期。社会全体が暗くなってしまったことを記憶されている方も多いはずです。
そんな様子を見ていて、私が生活している地元・宇都宮だけでも、多くの人が少しでもにこっと笑顔になれることができないかと思って始めたのです。ある方に「多くの人に見られる場所に絵を描きたい」と伝えたところ、街なかにある美容室の方が共感してくださったのが最初の作品です。
――よく行かれるおでかけ先や思い出深い旅行は?
栃木県には海がありませんので、子どもが小さい頃から海に行きたがり、茨城の海へはよく出かけます。大洗にある水族館は、年間パスポートを毎年購入するほどのお気に入りの場所。今でも子ども2人と一緒に行きます。車で向かうと少し時間がかかるので、日常生活に追われていていつもはできない会話をじっくりとできて、私たち家族にはたいせつな時間になっています。
長期間の旅行で印象深かったのは、社会人になって最初の頃に行ったアメリカ・ボストンです。現地に留学している友人の知り合いの施設に寝泊まりしながら、2週間ほど滞在しました。初めての海外旅行で、新しい世界を見たようでとっても楽しかったのです。
現地ではさまざまなことを経験しました。現地の人との関係で落ち込むこともありましたが、また別の考え方の方もいて、人種が多彩なアメリカを肌で感じられました。これは、現地に行かないと得られない感覚であり、私にとっての宝物だと感じています。
このように落ち込んでも這い上がる感覚は、幼少期にひとりで遊んだ時から身についたもの。私の作風にも影響していると思います。
大谷石を使った洋館風のレトロな南宇都宮駅。日本遺産の構成文化財のひとつ
WEB限定!
――幼少期を経て、その後はどのような流れで現在に至るのでしょうか?
進学するにつれて、絵を描くだけで食べていくのはたいへんなように思えて、短大でグラフィックデザインを学び、デザイン会社に就職しました。当時はパソコンでデザインするのではなく、アナログの手書きで描く時代。現在、ペンを使って描くというスタイルの基礎はここで培われたように思います。
でも、この時期はイラストを描くようなお仕事はなく、誌面をレイアウトする業務ばかりでした。こうしたデザインの仕事をしているうちに、子どもの頃の夢を思い出すようになり、仕事とは関係ない作品の制作を開始。展示会に応募するようになったのです。お金よりも、自分にとってのやりがいを感じたいと強く思ったのを記憶しています。
この当時の作風は、体の一部が切れていたりする、ちょっと毒々しい感じでして……。短大のときもそうだったのですが、少し屈折していたのかもしれませんね。
その後は、いろいろな縁があって、企業の広報の仕事、誌面デザインの会社など職を転々としました。ところが、就職したある会社が倒産してしまったのです。その年に結婚し12月1日に籍を入れたのですが、倒産したのが12月24日のクリスマスイブの日。なんという展開でしょうか。この時点で、フリーランスになることを決意しました。
その後は、さまざまなイラストを描くようになりました。依頼を受けて、要望に応えたイラストをたくさん描いていると、いろいろなスタイルの絵が描けるようになります。でも、自分のオリジナリティのあるスタイルではない。自分ならではの何かが欲しいと感じていたのです。こうして独自のスタイルを模索し始めました。
――幼少期から絵がお上手だったのでは?
こうした仕事をしていると、小さい頃から絵が上手だったように思えるかもしれませんが、実は筆で描くことが苦手……。正直、大嫌いでした。そのうえ下手だったので、小学校や中学校での美術の時間は苦痛そのものでした。
今、こうしてアートを描いていますが、自分でも驚いています。しっかりと絵画を学んだ作家さんから見れば、下手に見えるかもしれませんね。でも、多くの方に見ていただくための表現方法が、私にとってミューラル・アートなのです。今でも、ここはどう描けばよいのかと試行錯誤を繰り返していて、毎回が勉強だと感じています。
駅舎の窓のほか、改札内にあるトイレの窓にも描かれていて、通過する車内からも、もときさんの作品を見ることができます
――「仕事の作品」と「自身の作品」の違いは?
南宇都宮駅の絵は、あくまでもお仕事としていただいたものですから、関係する方々の要望をお聞きして、下絵となるラフ画を何パターンかお出しして、相談しながら決めていきました。
オーダーをいただかない自分の作品を制作する場合は、下書きはなく、その場で考えながら描いていきます。たとえばライブペイントの場合、その時間の天気や地域のことなどをいろいろと考えて、描く題材などをピックアップしていきます。描きながらも、田んぼが多い町だから稲穂を描くなど、制作中も地域との結びつきを常に探しています。
インフォメーション
もときさんの最新の活動や作品はInstagramで確認できます
workshopに参加予定の4月19日(日)開催「WORLD CHALLENGE SOCCER FESTIVAL 2026」など
text:Taku Tanji photo:Mayumi Komoto

