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第3話

庭先のクリスマスローズが白い花を咲かせてからしばらく経った。そろそろワスレナグサを植える時期だと張り切り始めたばあばが、朝からくしゃみを連発。インフルエンザでは、と慌てて病院に連れて行ったら診察室から苦笑いしながらばあばが出てきた。
「瑠璃、ありがとねえ。こんな年寄りでも花粉症になるものなのかね。ぶしゃっ」
「ばあば、マスクしてよ、マスク」
「捨てなくてよかったよ。布マスク」
帰宅後、居間のこたつの上に点眼液や鼻スプレー、飲み薬が並んだ。
「毎日やることが3つ増えるのが億劫だねえ」
これまで薬に縁がないことがばあばの自慢だった。それだけに心理的負担が大きいらしい。花粉の飛散時期が終わるまで、庭の水やりはお預け。ママはすぐさま、現在ニート状態のてむちゃんを水やり係に任命した。てむちゃんはぶつぶつ言いながら引き受けたが、案の定、それは3日坊主に終わった。代わりに私が出勤前にせっせと水やりをしていると、背後からてむちゃんが一言。
「やりすぎちゃダメだよ」
「む、これ、てむちゃんの担当だよ」
癇(かん)に障ったのできつく返したら、てむちゃんはいつもの如くこたつに逃げた。そろそろ強制的にこたつをしまわねばなるまい。
このところ、三寒四温で日々の気温差が激しい。ばあばは暖かい日の症状が酷いらしく、自室から出ない日が増えた。例年なら、河津桜を見るために毎朝散歩をしているはずなのに。そのせいか、ある朝、初めてイライラを私にぶつけてきた。
「瑠璃は丁寧だけどね、言われた通りにするのは誰でもできるの。機械じゃないんだから、もっとちゃんと目の前のものを見なさい」
意味がわからない。理不尽だ。
ぷんぷんしていると、ママが小さく耳打ちしてきた。
「黒い鉢に植わっているカネノナルキ、水をあげすぎちゃダメなんだって」
そういえば、ここ数日、ポロポロと葉が落ちていた気がする。うちは商売屋だけに、枯れるなんて縁起でもない。
「ど、どうしよう」
「しばらく放っておくといいよ」
てむちゃんが無責任に口を出すものだから、思わず、ばあばからきた怒りの矛先をてむちゃんに向けてしまった。
「元はといえばてむちゃんがやることじゃない。もう知らない!」
よく言った、と勇んでその場を去ったが、果たして怒鳴るようなことだっただろうか。でも、今さら引き下がれない。てむちゃんのお世話はしないと八幡様に誓ったことだし。
しばらく、庭は放置状態になった。
「最近、朝誰も植物に水をあげてないんじゃない?」
やっと気づいたパパが、声を上げた。
「じゃあ、パパがやれば」
私が冷たく返すと、パパは「しょうがないなあ」と庭に出て、ジョウロに水を注ぎ出した。すると、急いでばあばが起き上がってきた。
「雅史さんはいいから。私がやるよ」
マスクをつけて庭に出たばあばは、しゃがんでクリスマスローズの花がらを一つずつ摘み始めた。
「今やっておかないと、来年咲かないからね」
よっこいしょと立ち上がり、植物の根元を確かめながら水をさす。いつものばあばの後ろ姿だ。
カネノナルキはいつの間にか軒下に移動されていた。少しだけ、葉に活力が戻っている。おかげで罪の意識が薄らいだ。
「ワスレナグサ、買っておいたよ」
てむちゃんがホームセンターでワスレナグサを買ってきていた。ばあばの毎年のルーティンを知ってのことかは知らない。
「庭の植物たちが私を忘れないでって、言ってたよ」
てむちゃんの決め台詞が効いたのか、翌朝からばあばは庭に出るようになった。マスクとゴーグルの完全装備で。
著者プロフィール
旅行作家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。