2026.5 No.923 掲載

第17話私の自信作

 Byakkoさんは、待ち合わせ時間きっかりにやってきた。肩には以前と同じバズーカ砲のようなカメラが下がっている。彼女とは2月にここ、東武動物公園のホワイトタイガー舎前で知り合って以来の再会だ。
「で、てむちゃんのカメラを見せて」
私は、手に持っているスマホを見せた。
「一応、最新機種です」
え、と一瞬戸惑ったのがわかった。
「そうか、スマホかー。確かに、最近のスマホカメラは侮れない」
 羽子板を撮影するために写真を教えてほしいとお願いしたから、一眼レフカメラでも持ってくると思っていたらしい。本当は、店のホームページの写真を差し替えるために、彼女のような一眼レフカメラを使いたい。でも、そんな予算はない。

 お願いメッセージをByakko さんに送ったのは先週のことだった。すぐに、待ち合わせの指定場所はホワイトタイガー舎ではなく動物公園内のハートフルガーデンにしようと返信が来た。
 今時期、紫や黄色、赤、ピンクなど色とりどりのバラで溢れた空間は、華やかで写真映えする。いつも望遠レンズで素早くホワイトタイガーの表情を狙っている彼女が、ファインダーを覗く前に、腕組みしながらじっくりと撮影対象を選んでいる。
「うん、ここがいいね。それ、貸して」
 彼女は私のスマホで同じバラを何枚か撮影した。
「この4枚、どんなふうに見える?」
 写真を確認する。写っているものが同じバラでも、少しずつ何かが違う。何だろう?  1枚目はバラ1輪の凜とした姿を横から。2枚目は俯瞰写真で、周囲のバラも写り込んでカラフルに。3枚目花びらの細部フォーカス。4枚目は、光がふわりと当たって優しいバラのイメージ?
「まずは対象物を眺めて自分がどう感じて何を表現したいか、わかることを目指して、みようか」
 撮影前にそんなに考えているなんてByakko さんの速い動きからは全く想像できなかった。。
 バラ園の真ん中で花を睨み、しゃがんでいると突然一眼レフのシャッターが鳴り始めた。
「ほら、ぼーっとしている間に太陽の位置が変わっちゃうよ」
 慌てて、スマホをバラにかざした。隣に伸びている大きな花弁が影になる。では、隣の花はどうか。水滴がまるく膨らんで、花弁に吸い付いている。滑らかな表面にも揺らぎがあり、絹やビロードのような光沢が感じられる。夢中になってシャッターを押していると、自分は花の細部にある表情が好きなのかもしれないとわかってきた。
 押絵羽子板は、どうだろう? ホームページの写真で何を伝えるのか。そこを考えていなければ、どんな写真を載せても見る側には伝わらない。
「自分の感じている芯を掴めたら、きっと誰かに伝わるものが撮れるようになるよ」
 Byakko 先生の撮影教室は、夕暮れ前に終了した。

 翌朝、早速、白い壁を背景に押絵羽子板を撮影した。……何も伝わってこない。私の欲しいのは、どんな写真なんだろう? きれいに写真を撮り直すだけのつもりが、新たな視点が加わったために、たいそうなことになってきた。
 工房内では、いつも通り職人数名と母が作業している。一人ひとり担当が異なり、それぞれ得意分野を受け持つ。
 面相師の母が人形の顔を描いているところにスマホを近づけた。繊細に線を引く筆先をカメラで追うが、シャッターチャンスが掴めない。次に、母は太めの筆に持ち替えて頬と目の周りに薄紅色の粉をはたいた。ふわっと柔らかく、人形の顔に生気が生まれた。可愛らしい。
 こんなに人形のメイクが上手なのに、母の横顔は汗ばみ、脂ぎっている。面にのせた筆をはらうたびに、小さくヒュイッ、ヒュイッと音がするのに気づいた。母の口からリズミカルに聞こえるその音は、どこかで聞いたことがあった。そうだ、磯笛だ。先日テレビで見た、海女さんが海から上がるときに漏らす、呼吸の音だ。横に座る職人さんが私の袖をつかみ、シーッと人差し指を口に当てた。
「難しい箇所は、いつもそうなの」
 海女さんが海に潜るように、母も仕事中にどこかに潜っているのかもしれないな。
 そう、私の欲しいのは、押絵羽子板は職人の集中力の賜物であるという熱だ。
 結局、母の横顔を撮影したものが今日一番の自信作になった。


プロフィール

朝比奈 千鶴(あさひな・ちづる)

文筆家、脚本家。トラベルライターのキャリアを経て、2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。令和7年度橋田賞新人脚本賞 短編部門 入選。

ラニー・イナモト