2026.3 No.921 掲載

第3話
旅立つ人に、贈る言葉

勤めていた会社を退職した時、同じ部署の方々から寄せ書きをいただいたことがある。台紙にびっしりと小さな文字が書き込んであって、とてもうれしかったのを覚えている。

自分も書く側になるとそうなのだが、人は寄せ書きに「実はあなたのことをこういうふうに思っていました」と書きがちである。普段は面と向かってそんなことを言われる機会はあまりないので、その言葉に驚くこともある。

私は電話が苦手なのに「うぐいす嬢のような電話対応でしたね」と書いてあったり、特に何もした覚えはないのに「恩人だと思っています」とあったり。「いつも探し物をしていましたよね」と真実を突いてくるコメントもあって、読んでいると自然と笑顔になる。

そのなかに「あなたほど、薄ピンクの服が似合う人はいません!」と書いてくれた女性がいた。

気に入った色だったので何度か着ていたけれど、その人に「似合いますね」と言われた記憶はない。しかし「いません!」と力強く言い切っているからには、心の中でずっとそう思ってくれていたに違いない。

すっかりその言葉に乗せられ、薄ピンクの服をよく買うようになった。寄せ書きの言葉を通して新しい自分を発見した気分である。

他人から見た自分への言葉が気にかかる場合もあるだろうが、「こんなことを思っていてくれたんだ」とうれしい時のほうが多い。

私のために綴られた言葉たちは、間違いなく最高のプレゼントだ。

なぜ人は旅立つ人に寄せ書きや手紙で言葉を贈るのか。よく考えれば不思議である。明日からもうオフィスには来ない、ひょっとすると二度と会わないかもしれない相手なのだから。

もしかしたら、旅立つ人に自分の姿を重ねているからかもしれない。今まで仲間だった人は、今まで自分の人生の一部分を占めていた人でもある。そしていつかは、自分もコミュニティを旅立つ日がやってくる。だから旅立っていく自分の一部に、ちょっとは温かい言葉をかけたくなるんじゃないだろうか。

言葉の贈り物には人生を共にした人からの、頑張れ、が込められている。

朝水 想 イラスト 別府 麻衣

あさみ・そう
小説家、旅行作家。出版社勤務を経て、旅行書籍の編集、旅エッセイの執筆などで活動。
第46回小説推理新人賞を受賞。2025年、小説デビュー作『お稲荷さまの謎解き帖』(双葉社)を刊行。千葉県出身。
X:@asami_sou25