
プロフィール
やまもと・りけん | |
山本 理顕 | さん |
1968年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、東京藝術大学大学院や東京大学生産技術研究所で学び、1973年に独立。埼玉県立大学(越谷市)のキャンパス設計や世界各地の建築物を手がけるほか、建築家を育てる活動にも尽力している。
「建築界のノーベル賞」と評されるプリツカー賞を2024年に受賞した日本を代表する建築家のひとりである山本さん。
国内外を広く訪ねた経験がどう作品に生かされ、世界から評価されるに至ったのか―。
横浜のオフィスを訪ね、お話を聞きました。
「気配り」を大切にしながら
周囲と調和しニーズに応えた作品を
世界各地の集落を調査し
得た経験が今に生きる

――建築家をめざされた経緯は?
よく聞かれる質問ですが、正直なところ、あまり記憶はないのです。高校生のとき、丹下健三氏が手がけた国立代々木競技場などおもしろい建築物が次々とでき、建築に興味を持ったことを覚えています。でもその時点では、建築家がどのような存在かは知りませんでした。
その後、大学、大学院に進んで改めて建築とは何かということを学んで、建築家という仕事にやりがいがありそうだと感じたのです。そこで次に選んだのが、東京大学生産技術研究所・原広司研究室の研究生。ここでの経験が、建築家としての私の基礎となっています。
初めて建築物を設計したのは、28歳のときでした。すでに設計事務所を設立していましたが、まだ建築家をめざしているという段階だったように記憶しています。
ちなみに、日本では「建築家」という職業は正式には存在しません。「建築士」という国家資格が、職業名称として一般化しています。先進国の専門家集団は自らの責任で職業を名乗りますから、日本がいかに特異かがわかると思います。この社会通念的な考えで言えば、私が一級建築士の資格を得たのは40歳近くのことになります。

右がプリツカー賞のメダル、左が世界経済フォーラムによるクリスタル・アワードを2025年1月に受賞した際のトロフィー
――研究生時代は、どのような活動をされたのですか?
原先生の研究室では、世界各地の集落調査を行いました。私は地中海、中南米、インド・ネパールの3エリアを担当。村々を訪ねて、建物を見て「暮らし方」を調べるのです。この経験が、私が建築家になるためのとても重要な訓練だったといえます。
建物を見れば、人々がどのように使い、どのように暮らしているかがわかります。さらに、気候風土や政治体制など、さまざまなことが見えてきます。中南米では、かつて統治したスペインの影響で街づくりが行われたことなど、歴史的な背景も知ることができます。
たとえば、アンデス山脈にあるチチカカ湖には、植物を積み重ねて造られた浮島に人々が暮らす集落があります。一見すると、暮らすのに苦労する場所に思われそうですが、この場所でこうした生活スタイルになったのには、きちんと理由があるのです。この調査は、とても意義深い経験でした。

原広司研究室での集落調査をまとめた論文を見ながら、世界各地の村々のことを教えてくれた山本さん
「気配り」を心がけ
人々に喜ばれる建築を
――そのような研究生時代の経験から得たものとは?
私が建築に関わる際、「気配り」を大切にしています。人と人が出会うとき、必ず気配りをしますよね。建築も同様で、周囲に暮らす人々に気配りをして設計するのです。世界の集落調査では、村内で争いごとが生まれないような家の建て方をしていることなど多くを学び、この考え方を抱くようになりました。
私が設計する際は、とてもシンプルなことですが、周辺の人々に喜んでもらえる建物をめざします。そのためには、周囲の人々のこと、地域のこともよく知らなければいけません。
――具体的な例はありますか?
30年近く前、宮城県の岩出山中学校の建物を手がけたことがあります。当時の町長が、江戸時代に岩出山伊達家が開設した学問所があった歴史から、中学校を町のシンボルにしようと計画しました。
そこで私が考えたのは、遠くからでも目を引く建物を建てること。この地は奥羽山脈からの吹き下ろしの風がとても強いことから、北風が校舎に直接当たらない「風の翼」という弓形をした金属製の大きな壁を思いつきました。この壁の南側は弓形の内側となり、太陽光が反射して校舎に当たり、冬は暖かく過ごせます。風の翼は各所から目にすることができる町のシンボルとなり、町長をはじめ町の人々にたいへん喜んでいただきました。

横須賀美術館
おでかけには作法がある
そんな時代に育ちました
――「おでかけ」という言葉に感じることは?
残念ながら、「おでかけ」という言葉は現在、死語になってしまったと感じています。私が子どもの頃は、きちんと存在していました。ちょっといいものを食べたり、映画を見たりと、特別な時間を過ごすのが「おでかけ」。知らない人にも会いますので、服装もおでかけ用のものを身に着けるなど、きちんとした作法がありました。パブリックスペースの意味を理解していたのです。生活しているコミュニティー内での服装などの作法と、パブリックスペースでの作法は異なるはずです。
建築家はパブリックな空間で働く機会が多い職業ですから、かつての建築家は蝶ネクタイをするなど、正装をしていました。私は、そんな感覚を大切にしています。
――鉄道はお好きですか?
私たちの世代は、子ども時代に全員といっていいほど電車が好きでした。当時はこの近くに東海道線が見られる場所があって、機関車を見に祖父によく連れて行ってもらいました。私が小学生のときにデビューした、EF58形という新しい電気機関車がかっこよかったことを今でも覚えています。
インフォメーション
これまでの作品の模型展を開催
山本さんが手がけた横須賀美術館を会場に、新たに制作したこれまでの作品の模型を展示する特別展が開催されます。国内外に点在する作品が生まれた背景や形状などを一堂に見られる機会です。

「山本理顕展―コミュニティーと建築」
- ■開催場所:横須賀美術館 地下展示ギャラリーほか
- ■開催日:2025年7月19日(土)~11月3日(月・祝)
text : Taku Tanji photo : Mayumi komoto