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第4話

駅の構内でひときわ目立つ藤色の大きなポスターの端に、白いシールが貼られていた。4月末に開催される春日部の一大イベント「春日部藤まつり」のゲスト名の上だ。
近寄ってみると、シールには手書きで「払田稲子」と書かれている。誰だ、こんな悪戯(いたずら)をしたのは! 急いでシールを剥がそうと試みるも、頑丈に張り付いているので剥がせない。試しにソーイングセットの針でシール端を擦ってみた。だめだ。ならばペンで見えないように上書きを……。
「何をしているんですか」
不審な行動が防犯カメラに映し出されていたらしく、若い駅員が走ってやってきた。
「ここに、落書きがあって」
擦れたシールにはしっかりと払田稲子、と残っていた。
「私の妹の名前なんです。だからすぐ消したいんです」
見慣れない駅員だった。着任したばかりなのだろうか。名札に“宮沢”とある。宮沢さんは、すぐに事務所に確認をした。
「白いシールは実行委員会が貼ったときからあったそうですよ。落書きがあったかはわからないのですが」
油性マジックでの塗りつぶしをお願いすると、宮沢さんはちょっと困った顔をした。
自宅に戻り、てむちゃんにそのことを話すと、へえ~と薄い返事。「私のファンの仕業かな」と興味を示すかと思ったのに。
てむちゃんにはアイドル時代のファンがわずかだけどいる。その人たちには引退時にSNS上でお別れをしているが、いまだに聖地巡礼のようにうちの前で写真を撮っている人もいる。近所では羽子板のモデルになるほどの美少女で知られていたから「払田稲子」が「てむちゃん」であることを知る人は多い。ううむ、それでは誰が何のために落書きを? しかも、本人の嫌いな本名で。
「あんたんちのパパが書いたんじゃない? 願望を」
幼馴染みの彩夏に相談したら、そう返ってきた。確かに、パパは以前からてむちゃんが藤まつりのパレードに出るのを楽しみにしていた。
「叶ったように振る舞うと実現するというやつよ」
彩夏曰く、願望は口に出したり書いたりすることで叶う可能性が高くなるという。そうはいっても、パパが駅貼りのポスターにこっそりと娘の名前を書き足すなど想像し難い。いや、でも、てむちゃんの引きこもり期間が長すぎるから願望をついポスターに? まさか。ますます疑惑は深まる。
翌日、駐輪場で近所の高橋さんを待ち伏せた。商店街の事情通だから、何か知っているかもしれない。
「おばちゃん、藤まつりのゲストって誰か知ってる?」
「例年なら親善大使なんだけど、今年はキャンセルになったみたいよ」
イベントまであと半月くらいなのにキャンセルとは、ただ事ではない。
「代わりが誰か知ってる?」
「さあねえ。それよりも瑠璃ちゃん、うちのよさこいチームにてむちゃんを誘ってくれないかしら」
「おばちゃん、それ!」
閃(ひらめ)いた。どうせなら、落書き犯人の思惑通り、てむちゃんを抜けたゲストの穴に推した方がいい。地域アイドルグループ「カラリング」所属時代はコロナ禍で故郷に錦を飾ることはできなかった。今なら引退したてだし、個人として芸能活動はできるはず!
「瑠璃ちゃん、頼んだわよー」
髙橋さんへの返事も半分に駆け足で自宅に戻ると、てむちゃんは大判焼きを頬張りながらスマホを見ていた。私はてむちゃんから大判焼きを取り上げ、宣言した。
「てむちゃんはやはり表舞台で活躍するべきだと思うの。だから、パレード、藤まつり、参加しよう!」
てむちゃんは、ムッとした表情で答えた。
「……藤まつり、出るから。大判焼き返して」
「そうなの? だったらなぜ、ポスターの話のとき教えてくれなかったの?」
「落書きだって思いこんでいたでしょ?」
「だって、本名が書いてあったから」
「“てむちゃん”ってひらがなで紙に書くとふざけてるみたいじゃない。で、地元だし本名にした」
完全な一人相撲だった。急いで駅に向かうと、宮沢さんは改札で接客していた。こちらの焦っている様子が伝わったのか、にっこりとうなずき、大丈夫、と口を動かしながら両手の手のひらをトントンと下げた。その所作に、一人相撲の行司をしてもらったような気分になった。
著者プロフィール
旅行作家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。