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日常から生まれた川柳
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第9話

朝、リビングに行くと我が家の姫、てむちゃんはすでに出かけた後だった。
「今度のバイト、いつまで続くかしらねえ」
心配そうなママに、パパは笑顔で答える。
「秋田に稲刈りに行くという目標があるから大丈夫だよ」
確かに、てむちゃんは目標ができると猪突猛進するタイプだ。これまでのダラダラとした日常にピリオドをうち、介護施設の朝食配膳バイトを始めた。午後は、家業である羽子板製作のパーツ作りを出来高制で請け負っている。この頃、やる気に満ちた姿が頼もしい。
……けれども、今の私は素直に喜べない。
「瑠璃、最近忙しいの?」
帰宅早々てむちゃんに話しかけられ、
「う、うん。まあまあかな~」
と、部屋に逃げた。ただいま、てむちゃんと非常に顔を合わせづらいのだ。
──それは、職場のコミュニティセンターの文化祭実行委員会議でのこと。
「妹さん、うちの文化祭でなんかやってもらえないかな」
場が煮詰まったタイミングでセンター長が私に言った。ああ、そうだね!なんて誰かが相槌を打ったけど「なんかやって」といういい加減な投げ方が癇(かん)に障り、つい言い返してしまった。
「てむちゃん、ギャラ、結構高いんですよ」
途端に水を打ったかのように周囲が静まり帰った。しまったと思ったが、センター長のお願いは続いた。
「お金というよりも地元貢献の気持ちで、お願いできない?」
ちょっと待った!てむちゃんは善意の余興のために10代からボイトレやダンスに励んできたわけじゃない。……とはさすがに言えず、押し黙ってしまった。すると、パートの畠山さんが助け船を出してくれた。
「先方からのご提案ならともかく、プロに対して地元貢献で何かしてってお願いするのはおかしくないですか?」
会議のあと、畠山さんにお礼を言うと、
「私、以前勤務していた会社でコンプラ系の知識はひと通り、叩き込まれているので」
「コ、コンプラ系?」
「今の時代に必要な知識です。払田さんも知っておいたほうがいいですよ。というか、ここでも研修すべきです!」
畠山さんの強い語気に、ただらなぬものを感じた。もしや、職場の誰かが彼女に無神経なことを……?
帰り道、スマホで言葉の意味を検索した。ハラスメント、マウント、暗黙の了解、無償の強制など最近よく聞く言葉ばかり。でも、自分にはその境界がわからない。そういえば以前、てむちゃんは交通費の出ない場所でのイベント参加を「経験になるから」と言われても、断っていた。一方からはわがままにも映る言動が、結果的に個人の尊厳を守り、トラブルを避けることにつながるのか。
文化祭のことはやはり言わないでおこう。そう決めた矢先、お風呂から大音量で歌声が聞こえてきた。
「『見上げてごらん夜の星を』、だね。九ちゃんか~」
パパが懐かしそうに話した。
お風呂から上がったてむちゃんはまだ口ずさんでいた。ビブラートのかかった伸びやかな声は明らかに一般人の発声とは異なる、鍛え上げた喉の賜物だ。
「てむちゃん、古い歌、知ってるんだね」
「今度、施設のイベントで歌うから、練習してんの」
なんと、拍子抜け。てむちゃんは歌う場所など気にしていなかった。
「じゃあさ、センターの文化祭でも歌ってよ」
軽い気持ちで聞いたら、沈黙されてしまった。
「……てむちゃん?」
「瑠璃、それ、どんな案件?」
湯上がりで緩んでいたてむちゃんの目が急に鷹のように鋭くなった。ちょっと怖い。
「そ、そういうんじゃなくて、てむちゃんにボランティアで参加してもらえたらいいかも~って思って」
焦って、心にもないことを言ってしまった。
「……子どもたちに押絵羽子板、教えるのはどう?」
羽子板!?なぜ羽子板?
「だって文化祭でしょ?押絵羽子板は地元の文化だよ。宣伝にもなるし、いいじゃない。歌の方は仕事として依頼してね」
お互いに、もう30なのにまだ自立できていない子供同士だと思っていた。でも、てむちゃんは私よりもずっと社会人だった。
「ねえ、コンプライアンスってわかる?」
「当たり前じゃない。常識よ、常識」
てむちゃんは、きっと、畠山さんと気が合うだろう。
著者プロフィール
文筆家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。