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参院選の中で
老い先について考えた話
老い先について考えた話
私たちはもっと自分を大切にしていい。
「自分を大切にする」ためのちょっとした工夫をシェアします。
「60歳のおばあちゃんです。老い先短い私ですが、若い人が政治に関心を持つことを喜ばしく思います」これは、7月の参院選の選挙期間中に観たYouTube動画で、偶然目にしたコメントです。
「私は62歳のばあばです。老い先短い身、若い方の活躍を頼もしく感じています」などなど、似通ったコメントをいくつも見かけました。
過日の参院選において、若年層の意識の高まりが加速していく様には、とりわけ私もじんわりくるものがありました。そこは同感です。でも、60歳といったら私よりたったの5歳年上。「60歳はおばあちゃんなの!?」、「老い先短いの!?」と、にわかに動揺してしまいました。
少々落ち着いて考えてみると、そのコメント主の方にお孫さんがいて、普段のそれが自然に出たのかもしれないし、もしくは、世代差を強調したくて、そういった言葉になったことも想像できます。地域性もありそう。様々思いが巡りました。
私にも、60代の友人や知人がいます。怪我をしやすくなったとか体力が落ちたとか、そんな話題が増えました。でも、皆“おばあちゃん”の響きがまったくしっくりきません。若々しくはつらつとしています。一方、自分自身のことになるともう少し消極的で、一歩ずつ60代へ歩みを進めることに、戸惑いや葛藤がないといったら嘘になります。
50代の真ん中にきて、もう少し先と思っていた60代がじわじわと輪郭を持ち始め、コメントの一言一句へ過剰に反応してしまったかもしれません。
よくよく考えると、今が何歳であっても時間は有限で、今日の先が長いか短いかは誰にもわからないこと。年齢にばかりこだわっている自分にもハッとしました。
であれば、老い先は短いことにして、限られた時間を慈しみ生きる。そう捉えてみたら、それがなかなかいい感じ。ざわついていた心も今、穏やかです。
文・絵 柿崎 こうこ


©︎ Asako Shimizu
かきざき・こうこ
イラストレーター。1970年生まれ。雑誌や書籍、広告など各メディアで活躍。保護猫の「まるお」♂と「しろちゃん」♀の3人暮らし。近著『50歳からの私にちょうどいい美容と健康』。郷里の青森から上京して、はじめてのひとり暮らしは東上線の下赤塚駅が最寄り駅。
Instagram: @kakizaki_koko