2026.6 No.924 掲載

プロフィール

志野流香道 第21世家元

はちや・そうひつ
蜂谷 宗苾 さん

1975年生まれ。幼少期より祖父である第19世宗由氏と、父である第20世宗玄氏の元で研鑽を積む。2002年26歳のときに、奈良県の大徳寺松源院に入山し、大徳寺530世住持・泉田玉堂老大師の元で修行。昨年父より家元を継承し、第21世家元を襲名。

天然香木の香りを心で“聞く”
日本が誇る伝統芸道の香道。
蜂谷宗苾さんは室町時代よりおよそ550年にわたり
唯一代々香道を継承している志野流の第21世家元。
ここでは香道の文化や歴史
香道を通じた香りとの向き合い方について伺いました。

室町時代より途絶えることなく
日本独自の“香りを聞く”文化をつむぐ

香りと向き合う香道は
乱世の中で生まれた!?

――香道とはどのような芸道か教えてください

茶道はお茶、華道はお花が大事な役割を果たしますが、香道では東南アジアで産出される貴重な天然香木を、灰が入った香炉に火を付けた炭団たどんを埋め込み、その熱を利用して、香りを楽しみます。そのためには細かく定められた作法を習得し、何十年もかけて香木、自然界と向き合うことが求められます。お稽古では、古今和歌集や源氏物語などの古典文学、四季の移ろいや花鳥風月、古いしきたりや行事などの有職故実などを題材にした香りを当てる遊びのようなことも行います。

――香道では香りを「聞く」と表現するのはなぜですか?

香りは“嗅ぐ”や“匂う”と表現しますが、人間の体は嗅覚だけでなく視覚や肌など全身で対象物を感じ捉えており、元来中国で“聞”の漢字には、そのような意味が含まれています。また、法華経の中には「聞香 もんこう」という記述も見られ、お釈迦様の説法と香りは密接なつながりがあることを示しています。私個人の経験では、五感だけでなく第六感のようなものまでフル稼働して香りを感じ、自然界の声を聞くようなイメージがあります。

――香道の魅力は?

香りを聞く香席は非日常の空間。日頃溜まっている現代的なストレスを香りで取り払ってくれます。なかには頭痛がなくなり、熟睡できるというお弟子さんもおられます。しばらく継続して稽古を続けていれば、知らず知らず日本人らしい美しい所作が身につき、言葉遣いや思考にまで変化が表れます。

――香道の始まりについて教えてください

室町時代、応仁の乱後に京都銀閣寺で始まりました。常に死を意識するような世情にあって、足利8代将軍義政公のもとに茶の村田珠光たむらじゅこう、華の池坊専慶いけのぼうせんけい、連歌師の宗祇法師そうぎほうし、そして、香の志野流初代志野宗信しのそうしんなどが参集し、現在の日本文化の礎を築きました。香道は平和な時代、心に余裕がある時に始まったのではなく、「生きる、死ぬ」について向き合い深慮する混沌とした時代、乱世の中で誕生したのです。

――香木はどのように生まれるのですか

香木は自然界が作り出す香りです。例えばワインや日本酒は人間が管理して作りますよね。でも香木の場合、人間は一切関わってない。自然の叡智えいちの結晶が、香道で使用する沈水香木なのです。
沈水香木は東南アジアのジャングルの中で生まれます。しかも面白いのは、先ほど「香道は乱世の中で誕生した」とお話ししましたが、香木の生成も似ています。健康ですくすく育った木は特にいい香りは発しません。それが風雨で枝が折れたり、動物に傷つけられたりした傷口からバクテリアなどが木質を侵食する過程で、木が自分を守るために樹脂を傷口に固め香木の核ができるのです。
それが百年後に芳香を放ちます。私たちも風邪をひくと熱が上がってウィルスや菌と戦いますが、多くの苦難や困難な経験を積んだ人は、どこかしら魅力的なオーラが漂ってはいませんか。自然界はみんなつながってますね。

木々に囲まれた山での時間は
自分と向き合うひととき

――よく行かれる場所はありますか?

山や森ですね。鳥のさえずりや小川のせせらぎが聞こえる木々に囲まれた場所で、お香を炷たきながら本を読んだり、もの思いにふけったり。一年中、世界各地を飛び回っているので、もう少し自然界に身を置き、和歌を詠んだり、書や絵に触れる機会を増やしたいですね。香木を扱う家に生まれたからなのか、木に囲まれていると安心します。

――最後に、継承し続ける文化について、家元として思うことは?

私どもは、550年間代々一人の人間が命をかけてずっと途切らさずに続けてきた。そんな奇跡的な一つの宿命を背負った家系です。それを自分が継承するにあたって、当然家元としての矜持きょうじも持っています。他の伝統文化と違い、もし志野流が途絶えてしまったら、室町時代から続く香道の正統性が失われることになるのですから。
私は常に香道が続いてきた年月の550年を意識して先を見据えています。子どもや孫、何代も先の家元たちが、安心して志野流の道統を継承できるよう、すべきことをしていきます。東南アジアでの植林や幼稚園での香道講座も大事な活動です。世界中の子どもたちが笑顔で過ごせる世の中を作ることは、私たち大人の責任です。私はホームランは打てませんが、香りを通し人々の安寧を願い、平和な世界に寄与できるよう、これから21代目として走り始めます。

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家元襲名の直後から考えていた、意外な決意とは!?

――代々受け継がれてきた貴重な香木は、どのように守られてきたのですか?

歴代家元20人が命をかけて守ってきました。15代信好斎宗意(1803~1881)は、京都御所の西側に住んでおりましたが、1864年に勃発した「蛤御門の変」の戦禍にまみえ、家屋が焼失、その際、家財道具よりも、家宝である香木や香道具を持ち運び、難を逃れました。

その後、門弟が多く在籍していた尾州(愛知県西部)の支援者たちの庇護を受け、360年間慣れ親しんだ京都を離れ、現在の名古屋市に居を構えます。すると、今度は第二次世界大戦が起こり、19代幽求斎宗由(1902~1988)が、大八車に香木類を載せて郊外まで何往復もしたと父から聞いています。

一つの道を継続して守るというのは、並大抵のことではありません。初代から550年という長い年月を途中で途切れることなく、一人ひとりの人間が継承し、次代に香木だけでなく、作法や精神までも伝え残していく途方もないお役目を頂いてるのだと、私たち志野流の歴代家元は肝に銘じて生きてきたのだと思います。

――第21世家元になられたときに、何か決意されたことはありますか?

昨年春、父からバトンを受け取って21代を継承しましたが、実は、既に隠居する歳を決めております。家元という立場は、初代をはじめとする歴代家元や、もしお香の神様がいるのであれば、その存在から預かっているだけですから、私物化をしてはいけないと思っております。ですので、寿命ある限り自分の代のことだけ考えて走り抜く、のではなく、元気があっても、次の代がある程度の年齢に達していたら成長を促すためにも早々に譲ることも責任だというのが私の考えです。私は長くサッカーをしておりましたが、ベンチに監督が2名座っていたらチームは混乱し、きっと試合には負けるでしょう。

そもそも私は、都会の喧騒から離れ自然の中で過ごしたいという願いを持っていまして。山の中で、本に囲まれ、和歌や漢詩を詠み、書や絵画を嗜み、たまに仲間と月を愛でながら酒を酌み交わす、現代の仙人のような生活をするつもりです。

――普段から心がけていることはありますか?

50歳になり、特に考えるようなことはなくなってきました。日々、陽が沈み、月が昇る。季節は刻々と移り変わっていく。春になれば梅の香りが漂い始め、鶯が発声練習を始める。一年中咲き誇る桜はなく、秋には必ず木々は色づき落ち葉となり、冬になれば粉雪が風に舞う。私もいつ人生を終えるか分かりませんが、その日までは、心穏やかに、自然の一部として生きてきたらいいなと思っています。

インフォメーション

お稽古の案内 志野流香道教室

毎月第1金曜
会場:薬師寺東京別院(東京都品川区東五反田)

『香道の正統 志野流香道の世界』
蜂谷宗苾/監修

  • 550年にわたり受け継がれてきた志野流香道を多角的に紹介。志野流歴代の事績、香木や香道具、組香「菊合香」の解説などを紹介する待望の一冊です。

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interview:稲元孝子 photo:古本麻由未