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第1話


「やっぱ初詣、行かなきゃダメ?」
昨年の正月、てむちゃんは三が日続けて八幡様に参詣し、参道で近所の人たちに愛嬌を振りまいていた。なのに、今年は行きたくないと駄々を捏ねている。
それどころか、暮れから食べては寝てばかりいるから、頬がぷっくり赤らんで恵比寿様みたいになっている。
「てむちゃん、街のアイドルが台無しだよ。山羊座から破壊と再生の冥王星が抜けたからもう試練はないんだよ。安心だよ」
そう私が教えてあげると、てむちゃんは「むにゃあ」と生返事をしてこたつに潜り込んだ。こういうときは、たいがいうわの空を浮遊中だ。
年末に30歳になったばかりのてむちゃんは、私と同い年の妹だ。同い年といっても双子ではない。10歳のときに春日部駅東口商店街「払田羽子板店」の後継ぎであるてむちゃんのママと私のパパが再婚したため、パパと私は払田姓になった。同じクラスの同級生同士で戸籍上の姉妹になったというわけだ。以来、同じ屋根の下に20年間一緒に住んでいる。
てむちゃんは、昨年末まで埼玉限定で活動する地域アイドルグループ「カラリング」のセンター脇ポジションにいた。けれども、活動期限の30歳の誕生日に自動的にアイドルを卒業させられてしまい、それから腑抜けのくにゃくにゃになっている。
20代も半ばになって念願のアイドルになったときには、家族みんなが「この子は持ってる!」と喜んだものだけど、1年も経たないうちにコロナが始まったせいで、アイドルとしての稼働はローカルテレビのリポーターとライブが2回だけだった。
八幡様は、てむちゃんの願いをチラ見せしかしてくれなかった。だからなのか、今は八幡様のところへ足が向かないらしい。
もうメディアやイベントに登場しないてむちゃんが、周囲の記憶から消えてしまうのは想像に易い。それどころか年末のローカル番組でサクッと卒業を報告させられたのもあり、初詣ではきっと「卒業したのね、これからどうするの?」と声をかけられるだろう。それが嫌なのだ。
「冗談じゃないわよ。うちは商売屋なんだから。行くわよ、初詣。だいたい、あなた、今年から何するって言うのよ」
ママは、てむちゃんを産んだ人だから、遠慮なくなんでも口走る。
「まあ、いいじゃないか。30歳、瑠璃も稲も二人とも元気で家にいてくれて、結構、結構!」
継父だからか、パパはてむちゃんにとても甘い。
「パパ、稲じゃなくて、てむだから!」
てむちゃんは払田稲子という自分の名前が嫌いだ。中学校に上がったときにみんなに「払田の払は“てへん”に“む”だからてむちゃんって呼んで」と言って、強制的にいねちゃんからてむちゃんに変えさせた。私も呼び方を矯正されたひとりだ。こちとら今や同姓だけど、名前にそこまでこだわりはない。
「瑠璃っていい名前だもん、ら行が二つ続くんだよ」
てむちゃんに言わせると、ら行の名前は、ピアノの高音を叩いた音に聞こえるのだそう。だから、るりって言う時、「ら、ら」とてむちゃんの脳内には音楽が流れているらしい。
「稲子だって、大女優の有馬稲子ゆかりの名前じゃない。女優の道もあるかもよ? むしろ、そっちの方が良くない?」
こちらがフォローを入れるとふんっと寝返りを打ち一言、「私のこと、こたつ猫だと思って放っておいて」。
あまりにも中途半端に長年の願望を叶えてしまったため、満足と不満の間にすっぽりと体ごと落ちてしまったてむちゃん。きっと次なる目的が見つかるまで、こたつから出てこないつもりなんだろう。
結局、てむちゃんを除くパパ、ママ、ばあば、私の家族4人で初詣に出かけた。参道の列で並んでいると近所の人から予想通り「てむちゃんは? 卒業おめでとうって伝えて」と声をかけられた。
「アイドルは、なるも終わるも大変ね」
小声で呟くばあばに、私は大きくうなずいた。
参拝の番になり、4人揃って柏手を打った。84歳のばあばは挨拶程度の祈りであっさり短い。両親は合掌し、閉じる目にもググッと力が入っている。私も、一心に祈った。
「八幡様、私こと払田瑠璃を生まれ育った春日部から出してくださいー」
それは、もう、てむちゃんのお世話をしない、という決意表明だった。
著者プロフィール
旅行作家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。