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茂林寺前駅~館林駅
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「パズル」でアタマの体操
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日常から生まれた川柳
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第5話

先月末に開催された「春日部藤まつり」で、てむちゃんは払田稲子として復活した。イベント当日までに5キロのダイエットを成功させ、シュッとした顎に戻したそのプロ根性には家族全員うなるばかりだったが、それ以降仕事は入っていない様子。それでも、久しぶりに人前に出たことで調子が上がってきたようで、今日は庭でばあばと一緒に早朝からラジオ体操をしている。
「瑠璃、そういえば、引っ越しってどうなった?」
てむちゃんが急に思い出したようにばあばの前で話すので慌ててしまった。幸い、朝のニュース番組の大音量のおかげで、引っ越し計画はまだ家族に知られていない。
「まあね、もうしばらく様子みようかな」
そう答えると、「ふーん」と何か引っかかっている様子。
「もしや、好きな人でもできた?」
「えっ、何、急に」
「んーなんとなく、ね」
昔からいやに勘が鋭いだけに、思わずこちらも身構える。
「その含ませた言い方。違うよ」
てむちゃんは私の頭部をジロジロと眺めた。
「じゃあ、最近、髪にアイロンあてるようになったのはなぜかな?」
「それは……」
慌てて脳内を検索した。すると、ヘアアイロンの箱にプリントされていた人気俳優の顔がふわっと浮かんできた。
「推し、推しが宣伝してるから!」
「推し? 瑠璃が?」
芸能ネタに全く興味を示さず、テレビもほとんど見ない私が突然〝推し〟と言い出しても説得力はない。すぐにスマホでヘアアイロンのCMを検索して見せた。
ポップなBGMが流れる中、(仮)推し俳優が女性の髪にアイロンをあてている。俳優は細面で色白、艶のある唇はほの赤く、メイク映えしそうなイケメンだ。そうだ、こんな顔だった。
「へえ、こういうのが瑠璃のタイプなんだ」
「そ、そうだよ!」
「私、美容師でもない彼氏にアイロンあてられるとか、絶対嫌。髪こげちゃう」
てむちゃんは俳優のルックス如何ではなく、CMそのものに突っ込みを入れ始めた。
「ねえ、暇なの? てむちゃん」
「暇じゃないよ、今日だって9時くらいに福岡からのお得意さんの相手しなきゃだし」
自宅敷地内にある羽子板工房は4月から新作発注会を開催している。全国各地からのバイヤーの中には20年以上もお付き合いのある人もいて、羽子板の顔のモデルであるてむちゃんの成長を楽しみに来てくれている。そんな理由から、今年から接客することにしたらしい。
「手土産のお菓子、とっておいてほしいでしょ」
「いいよ、みんなで食べて」
「へー珍しい、甘いものには目がないのに」
時計を見ると7時15分。
「あ、行かなきゃ!」てむちゃんへの返事もそこそこに急いで家を出た。
私はふだん、平日の朝7時25分には春日部駅東口に着く。ここ数週間は3分ほど早めに着いて、手鏡で前髪と唇のグロスの艶やか具合をチェックする。ささっと指で前髪を整えてから改札に向かう理由は、右5メートル前方有人改札に、私の本当の推し、駅員の宮沢さんがいるから。自動改札にスマホをタッチする際に、右側をさりげなく見ると、宮沢さんは100パーセントの確率で私に会釈してくれる。濃紺の制服姿の宮沢さんは凜々しく、笑顔は爽やかで春のそよ風のようだ。ふふ、今日は一日気分上々!
先月のポスターの件で宮沢さんと顔見知りになって以来、朝夕の出勤時に彼に挨拶できるかどうかが一日の気分のバロメータになっている。有人改札と自動改札、数メートル離れた距離でほぼ毎日会釈しあうという行為が尊すぎる。全国各地の銘菓でぽっちゃりしている場合ではない。電車内で推しに挨拶をした余韻を味わっていると、ブルブル、とスマホが振動した。てむちゃんからのメッセージだ。
「推し、今度越谷で撮影するみたいよ」
早速、私の(仮)推しをリサーチしたらしい。適当な絵文字を返したら「一人で行くのが嫌だったら、ついていってあげようか」と即レス。やや面倒なことになってきたのでここは話題を変えようと「そういうてむちゃんにはいるの? 推し」と戻すと、即座に「いるよ、ユーリー・ボリソフ♡」と返ってきた。うーん、わからない。
著者プロフィール
旅行作家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。