2025.11 No.917 掲載

第11話川越おでかけ日和

「瑠璃、週末空いてる?」
 押絵羽子板を川越のお得意様のところに届けに、てむちゃんと一緒に行くことになった。かの地に行くのは、中学の遠足以来15年ぶりだ。
 配達先は、蔵造りの町並みにある老舗和菓子屋さん。払田羽子板店に毎年注文してくれる、お得意様だ。
「押絵羽子板と言ったら江戸文化ですからね。払田さんが戦後、浅草から春日部に移ってからもご縁を続けさせてもらっていて、ありがたいことです」
 80年前のことを、茶髪の若主人がまるで昨日のことのように話す。
「今年、うちが代替わりしましたから、それでおばあさまの代わりにお孫さんたちが届けてくださったんですね。どちらかが後を継がれるんですか?」
「いえ、母が元気でやってますから……」
 直系のてむちゃんはともかく、両親の再婚によって払田家に入った私が家業を継ぐなど考えられない。とはいえ、てむちゃんも押絵羽子板の職人を今から目指すとは思えないし……。
「では、良いお年をお迎えください」
お辞儀から顔をあげると、若主人はてむちゃんの顔をまじまじと眺めた。
「何か会ったことあるなと思ったら……そうだ!羽子板の顔、あなたですよね!」
嬉しそうな若主人に、てむちゃんはふだんと同様に「はあどうも」と気のない返事をした。亡くなった祖父が初孫のてむちゃんが可愛くて、あるときから羽子板の顔をてむちゃんにしたと聞いている。押絵羽子板の顔になるということは、ブロマイドがそこらじゅうに出回っているようなものだ。この人は、生まれついてのアイドルなんだな。
 和菓子屋を出た途端、てむちゃんが呟いた。
「私、もしかして店、継いだほうがいいのかな?」
「え、やりたいんだったらやればいいと思うけど……」
「春日部も、日光街道の粕壁宿であるわけだし、こちらとのお付き合いは戦前から続いているわけで……」
何を今さら、と思ったが、てむちゃんは急に伝統文化産業に関わることをプレッシャーに感じ始めたようだ。私は、話を変えるために脳内から記憶を引っ張り出した。
「そうだ、川越、パワスポあるんだよ!」
 和菓子屋から歩いて10分もかからない川越氷川神社は、縁結びのパワースポットとして近年知られている。中学時代の遠足では来ていないのでチェックをしていた。
 拝殿の前にてむちゃんと並ぶ。柏手を打ち、目を閉じた瞬間に、ふと元旦のことを思い出した。私、家を出たいって八幡様にお願いしてたよね?あのときはアイドルを辞めさせられたばかりのてむちゃんのお世話をしたくないって思いでいっぱいだった。私、冷たい人間だ。恥ずかしい。
 参拝が済み、おみくじの場所を探してうろうろしていると、てむちゃんはいつの間にか絵馬を書いていた。まるで来慣れた場所かのように拝殿の左側に入って行く。するとそこには、所狭しと絵馬が木枠に架かっていた。これが参拝者の祈りが集結したパワースポット、絵馬トンネルか。
 絵馬を眺めていたてむちゃんが、ふいに足を止めた。
「どうしたの?」
てむちゃんがスマホを構えた先には、大きな字で「お願い、アイドル辞めないで」と書かれた絵馬があった。
「このタイミングでだよ?ウケる~」
てむちゃんは半ば自虐的に笑い、それを撮影した。
 春日部に戻ったらすでに日が暮れていた。軒先のカラスウリの実がいつの間にか朱色になっている。カラスウリは、江戸時代からの縁起物だ。小江戸川越にちなんで、クリスマスリースにしてみようかな、などと考えていると、てむちゃんがスマホの写真を見せてきた。
「これ、一体、誰が書いたんだろうね」
 目の前にある一つひとつの縁が重なり、気づけばどこかに導びかれることもある。
「神様のご縁じゃない?、誰かの言葉をてむちゃんに繋げてくれたんだよ」
「そっかあ、神様にはまだ推されてるんだね、私」
──そういうてむちゃんはこんな言葉を絵馬に書いていた。
「サイの角のようにただ独り歩め」
難しい言葉を知ってるんだな、と検索してみたら、なんとお釈迦様の言葉だった。神社の絵馬にそれを書く!?と思ってしまったが、とらわれないのが彼女らしくていい。
 もうすぐ、アイドル引退から1年。


プロフィール

朝比奈 千鶴(あさひな・ちづる)

文筆家、脚本家。2021年日本シナリオ作家協会主催「新人シナリオコンクール」佳作受賞。現在は、小説執筆のほか、脚本家としてテレビや映画の仕事に携わる。

ラニー・イナモト