江戸時代へタイムスリップ。茅葺屋根の民家が立ち並ぶ旧宿場町「大内宿」

茅葺き民家にいろり...田舎情緒あふれる大内宿によってがんしょ!

大内宿は江戸時代に整備された「会津西街道」の宿場の一つ。東北諸藩の参勤交代や旅人たち、江戸へ運ばれる年貢米や特産品など多くの人・物が行き来する交通の要所でした。明治以降、政府が進める近代化政策により宿場としての役目は終えましたが、全長約1kmに及ぶ茅葺(かやぶき)屋根の民家が残る集落は奇跡的に今日まで残り、古きよき日本の原風景を今に残す観光地として人気を集めています。

現在、街道沿いに建てられた約40軒の民家は、食事処やお土産屋、民宿として利用されています。四季によって表情を変える山々と茅葺屋根の景観はもちろん、大内宿の代名詞「ねぎそば」を始め、素朴な味の和菓子や渓流で捕れたイワナやアユの塩焼きなど、田舎特有のグルメが味わえる他、最近ではケーキやパフェなどのスイーツを提供するお店も増えてきました。冬にはいろりの火にあたれるチャンスも。名所の多い福島の中でも特に人気の高い観光地です。

消えかける宿場が観光客の絶えない一大名所へ。

近代化のあおりを受け、一時はその街並みの保存も途絶えるかに思われた大内宿ですが、1981年に国から「重要伝統的建造物群保存地域」に指定されると急速に保存活動が進められました。

住民たちは「売らない 貸さない 壊さない」のスローガンのもと、家屋と町並みの保存を目的とした「大内宿保存会」設立。1986年から「大内宿雪まつり」を毎年開催し、1987年には最寄りの「湯野上温泉駅」を茅葺屋根に建て替えるなど、「茅葺民家を残す観光地」を前面に押し出す取り組みを始めました。その結果、日本の伝統的な家屋が創り出す風景をひと目見ようと、国内だけでなく海外からも観光客が訪れる人気スポットへと姿を変えました。

茅葺の町並みを守るということは、日本の伝統技術を未来に残すという一面もあります。茅葺屋根は15年〜20年の頻度で葺き替えなければならず、専門の職人を中心に住民総出で協力する必要があります。住民は大内宿に伝わる共同扶助制度と茅葺き技術の継承を目的とした「大内宿結いの会」を結成。中には自ら職人に弟子入りをし、技術の習得をする人も現れるようになりました。

住民の弛まぬ努力と歴史と伝統に対する敬意があるからこそ、茅葺民家の姿が今に至るまで残されているのです。

箸代わりにネギ?! 大内宿の名物は一度見たら忘れられない!

ねぎを箸代わりにして食べるという珍しさが人々を驚かせる「ねぎそば」。今や大内宿を代表する料理としてほとんどの食事処で食べられる人気のメニューです。

見た目のインパクトもさることながら、味にもこだわりがあります。そばはすりおろした辛味大根と出汁の旨味があとをひくめんつゆが特徴の「高遠そば」。「高遠そば」はもともと長野で食べられていていましたが、信濃高遠藩の藩主であった保科正之が初代会津藩藩主になった際に高遠のそば職人も連れて会津へと移動してきたため、会津の地にも根付くようになりました。

石臼で挽いた地元産のそば粉を使用した麺は歯切れもよく、噛めば噛むほど蕎麦の香りが引き立ちます。ねぎだと食べづらい、という方はもちろんお箸で食べてもOK!大内宿に来たら一度は食べてもらいたい一杯です。

都会の喧噪を忘れさせてくれる癒しスポット・大内宿

深い歴史と文化、季節ごとの魅力があますことなくつまった大内宿。

春が訪れると新緑と桜の柔らかな色が街道を包みこみ、夏には道の両脇に流れる自然水で冷やされた野菜やラムネが季節を感じさせてくれたりと、一度は憧れる田舎ならではの生活の営みを見せてくれます。季節が過ぎ、紅葉の秋には軒にかかった柿すだれや家屋の脇に積まれた薪の山が次の季節の足音を感じさせ、雪が降ると町は白一色に染まり、幻想的な世界が広がります。

ゆったりとした時の流れとすがすがしい山風を感じる旅はきっとあなたの心も身体もリフレッシュさせてくれるはずです。

大内宿

URL http://ouchi-juku.com/

※2019年9月現在の情報です