江戸の名残りを残す街道を歩く。幸手~古河街道史跡巡り

江戸から日光へ。日光街道の道のりをゆく

日光街道は江戸時代にできた五街道の一つで、江戸の日本橋を起点に日光までを結ぶ約140kmの街道です。街道沿いには21の宿場が置かれ、日本橋から途中の宇都宮までは東北へと向かう奥羽街道とも重なっていたことから、江戸時代には参勤交代の行列も多く見られたといいます。

街道の最大の難所は、関東一の大河川、利根川。橋はなく渡し舟で越えたとされます。川を越え、いくつかの宿場を過ぎたところにあるのが、日光街道随一の宿場町、奥羽街道との分岐点であり城下町でもあった宇都宮です。現在も、宇都宮以南の国道4号線と国道119号線の通称として、日光街道の名が残っています。

ここでは、その日光街道の宿場のうち、現在の杉戸高野台駅から幸手駅までと、栗橋駅から新古河駅までのエリアをご紹介します。

旧杉戸宿から幸手宿に残る江戸時代の名残を巡る

かつての杉戸宿から幸手宿までは約5.7km。徒歩では2時間半の道のりです。その道筋には、源頼朝ゆかりの神宮寺をはじめ、神明神社や正福寺など、見どころの多い神社仏閣が複数点在しています。

杉戸宿近くには1822年創業という老舗の造り酒屋「関口酒造」があり、現在の家屋は約120年前のものだそうです。6代目のご主人が杉戸町の特産品を作りたいという想いで考案した酒「すぎと七福神」は、アルコール度数は通常よりも高めの17%ながら柔らかい口当たりを目指して作られた逸品。杉戸町のお土産におすすめです。

幸手宿には、「本陣知久家跡」が残っています。知久家は、本陣、問屋、名主の三役を兼務し、その屋敷は、明治天皇が宿泊されたこともあるという約千坪の大屋敷だったそうです。また、近くの正福寺の勅使門付近には、この地を詠んだ「芭蕉と曽良の句碑」が建てられています。さらに、日光街道から少し入ったところには、江戸時代の文久年間から続く和菓子屋「石太菓子店」があります。江戸時代の味を今に伝える名物「塩がま」をはじめ、まんじゅう、どら焼き、最中などを作っています。

旧栗橋宿から古河宿付近に残る江戸時代の名残を巡る

栗橋から利根川を渡り茨城県側(当時の下総国)に入ると、すぐに旧中田宿があります。栗橋宿から中田宿までは約1.8km、中田宿から古河宿までが約5.9kmあり、トータルでは徒歩約3時間の距離です。

栗橋宿から中田宿にかけての見どころとしてぜひ訪ねたいのは、「栗橋総鎮守 八坂神社」。ここには、狛犬ではなく「狛鯉」が左右一対(「除災の鯉」と「招福の鯉」)になって置かれています。これは、利根川の洪水の際に鯉によって神様が運ばれてきたことに由来するそうです。また、中田宿周辺には鶴峯八幡神社や光了寺などの名所がある他、「原町一里塚」、徳川2代将軍秀忠が建てたといわれる「茶屋新田」などの見どころもあり、そこかしこに江戸時代の面影を見ることができます。

旧古河宿付近で当時の名残を感じさせてくれるのは、旧古河城出城跡に建てられた「古河歴史博物館」。ここには在りし日の古河城の模型が展示されています。またその対面には、古河藩の家老だった鷹見泉石が晩年を過ごした屋敷が記念館(鷹見泉石記念館)として残されています。1633年に建てられたこの屋敷で、その凛とした佇まいから、これまで数多くの映画、ドラマ、CMの撮影などに使われています。

江戸時代に想いを馳せながら、日光街道を歩いてみよう

江戸時代の名残を残す街道巡りは、歴史好きの心を大きくくすぐります。もちろん、歴史に詳しくない人でも、当時から続く造り酒屋や和菓子店、神社仏閣や博物館などを訪ねながら日光街道の周辺を歩いてみると、江戸から日光に参詣していた人たちの営みを想像できるかもしれません。

時には自らの足で、時には鉄道を使いながら、当時に想いを馳せつつ江戸時代の宿場や歴史的建造物などの名残を巡る旅に出かけてみてはいかがでしょうか。そこにはきっと、新しい発見がたくさんあるはずです。

※2019年12月現在の情報です