CMでもおなじみ、初詣は多くの参拝客で賑わう関東三大師「佐野厄除け大師」

正月大祭には100万人以上の参拝客が訪れる古い歴史を持つ寺院

関東にお住まいの方であれば、年末年始に流れる佐野厄除け大師テレビCMを一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。栃木県佐野市の秋山川の近くに位置する佐野厄除け大師の正式名称は「春日岡山転法輪院惣宗官寺」(かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)。「惣宗寺」や「春日岡」とだけ呼ばれることもあります。

「厄除け大師」とは平安時代の僧侶、「元三慈恵大師」の「良源」のこと。神社仏閣で当たり前のように見られるおみくじを考案したのが元三大師だと言われています。天台宗の18代座主だった元三大師は、人々を厄災や苦悩から救う法術を身につけていて、「如意輪観世音」の化身だと考えられていました。そのため、佐野厄除け大師にも本尊として如意輪観世音像が安置されています。

元日から1月31日までの正月大祭の期間中、佐野厄除け大師には100万人以上の参拝客が訪れると言われ、境内にはたくさんの露店が軒を連ねます。また初詣にかぎらず、厄除けやおみくじを目的に遠方から足を運ぶ人も少なくない名刹です。

佐野厄除け大師で受けられる厄除けや方位除け

佐野厄除け大師では、「厄除け(厄払い)」や「方位除け」などのご祈祷が事前予約なしで一年中受けることができます。本堂の受付窓口で直接申し込みをすれば、当日すぐにご祈祷をしてもらえます。

厄払いは前厄、本厄、後厄の年に厄除けのご祈祷をしてもらうもので、初詣のときなどに経験している方も多いかもしれません。一方、方位除けとは、「九星気学」にもとづいて、自分の「本命星」が凶方位にあたる年に災厄から逃れるためにしてもらうご祈祷です。

厄除けと方位除けが有名な佐野厄除け大師ですが、交通安全、身体安全、家内安全、商売繁盛、合格祈願などの一般祈願のほか、水子供養も毎日行っています。

足尾銅山鉱毒事件で知られる田中正造の本葬も行われた由緒ある寺

テレビCMで見かけているので親しみを感じる寺院かもしれませんが、その歴史は古く、「平将門の乱」を鎮圧した藤原秀郷が944年に奈良の僧侶、宥尊(ゆうそん)上人を招いて開基したのが始まりとされています。

また、徳川将軍家とも縁が深く、第3代将軍家光も参拝に訪れています。境内のお堂や手水舎の屋根など、さまざまなところに徳川家の葵の家紋が見られます。

さらに佐野厄除け大師は、日本で初めての公害問題として知られる「足尾銅山鉱毒事件」で反対運動の中心となった田中正造の墓がある場所です。1890年に渡良瀬川で洪水が発生した際、上流にあった足尾銅山から流れる鉱毒によって流域が汚染され、川魚の大量死や農作物の枯死など、地元の住民はさまざまな被害を被りました。これに対して、国会議員の田中正造が先頭となって、住民は大規模な公害反対運動を展開しました。田中正造は足尾銅山の問題を天皇に直訴したり、谷中村の廃村に反対するなど地元のために活動を続け、1913年に死去。佐野厄除け大師で本葬が執り行われ、数万人の弔問客が集まったと言われています。

歴史上の大きな出来事といくつも関わりのある佐野厄除け大師。当時に思いをはせながら歩いてみると、また違った顔が見えてくるかもしれません。

平穏と歴史の寺、佐野厄除け大師

厄除けや方位除けをしてもらおうと思ったとき、せっかくなら由緒ある佐野厄除け大師まで足を延ばしてみるのもいいのではないでしょうか。あらかじめ予約をしなくてもご祈祷が受けられるので、佐野市周辺の観光ルートの中にスポットの1つとして組み込みやすいですし、おみくじの元祖としても外せません。

歴史好きな方にとっては、一つのお寺の中でいくつもの出来事や人物を時代を越えて感じることができる場所です。テレビ画面で見るだけでなく、1000年以上も佐野の歴史を見守ってきた厄除け大師を一度実際に訪れてみてはいかがでしょうか。

佐野厄除け大師

URL http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp

※2019年9月現在の情報です